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監督vsプロデューサー『スーパーマン』の撮影現場では何が起きていたのか?

監督vsプロデューサー『スーパーマン』の撮影現場では何が起きていたのか?

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 ハリウッドでは監督の交代劇は珍しくない。それも、かなり撮影が進んでいる時点でも、プロデューサー権限で監督の首はかんたんにすげ替えられてしまう。実際、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(18)では、フィル・ロード&クリス・ミラー監督で大部分が撮影されていたが、ロン・ハワードへと交代し、大幅にリテイクされたと言われている。40年前に製作された『スーパーマン』もまた、そうした監督交代の危機に瀕しながら撮影が続けられていた。いったい、撮影現場で何が起きていたのだろうか?


スーパーマンの誕生と死



 1978年12月15日にワーナー・ブラザース配給で全米公開された『スーパーマン』は、たちまち興行新記録を打ち出し、全米興行収入は1億3421万ドルに達した。だが、ここまでの成功を予想した者は誰もいなかった。というのも40年前の公開当時ですら、スーパーマンは古色蒼然とした存在だったからだ。


 スーパーマンの誕生は、そこからさらに40年前の1938年、『アクション・コミックス』創刊号に掲載されたジェリー・シーゲル(作)とジョー・シャスター(画)コンビによるコミックまで遡る。もう少し詳しく言えば、1933年に『Reign of the Superman』という禿頭の男がテレパシーを駆使して世界征服を企むコミックを2人は手がけており、この男を正義のヒーローに生まれ変わらせて鋼鉄の身体を持たせたことで、スーパーマンが生まれた。もっとも初期の頃は空も飛ばず荒唐無稽な怪力の持ち主でもなかった。1940年に始まったラジオドラマで空を飛ぶ設定や、勤務する新聞社がデイリープラネットになるなど、メディアミックスによって世界観を広げていった。新聞社のカメラマン、ジミー・オルセンもラジオから生まれたキャラクターである。




 1941年にはアニメ化、生誕10年目の1948年にはコロンビア映画で連続短篇形式による最初の実写映画『スーパーマン』が製作されている。以降『アトムマンvsスーパーマン』(50)、『スーパーマンと地底人間』(51)とシリーズ化されたものの、いずれも日本では未公開である。


 足かけ6年にわたって続いた連続テレビドラマシリーズ『スーパーマン』(52~58)は、日本でも最高視聴率74.2%(!)を記録する人気番組となり、全104話が作られた。しかし、あまりにも人気番組だったことが災いしたのか、番組が終了した翌年、スーパーマンを演じていたジョージ・リーヴスは銃撃遺体となって発見され、自殺説、他殺説が今も絶えない。この事件は映画『ハリウッドランド』(06)で描かれている。


 ジョージ・リーヴスの死は、〈スーパーマンが自殺〉と報じられ、実際、映像におけるスーパーマンの存在は急速に希薄となっていった。製作者側は、ジミー・オルセンを主人公にしたスピンオフを企画したり、『The Adventures of Superpup』という犬の着ぐるみでスーパーマンの世界を描いたパイロットフィルムを製作したが、スポンサーが付かず未放送に終わった。


 その後はテレビシリーズの再編集版が製作されたり、スピンオフの『スーパーボーイ』(62)が1クールだけ放送されたりしたものの、『スーパーマン』ほどの人気を得ることはできなかった。そのなかで、後年の映画への布石とも言える変わり種が、1966年にブロードウェイで上演された『It's a Bird...It's a Plane...It's Superman』である。つまりミュージカル版『スーパーマン』というわけで、128公演が上演された。これを基にしたテレビ番組が1975年にアメリカのABCで特別番組として放送されている。ことほどさように、アメリカ国内でのスーパーマンの存在は、名のみ高くして、映像――殊にライブアクションとしては行きづまりを余儀なくされていた。



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