2020.03.29
ジャッカスの父、スケボービデオ
元々、スケボー界隈ではプロもアマも滑る様子をビデオで撮る習慣が根付いており、一般のスケーターたちもよくビデオを回していた。街中を縦横無尽に滑りたいがために深夜に集まり、人のいない繁華街で撮影していると、つい全裸になったり、酷いいたずらをしかけたり、さらにはコンビニ前でたむろする不良に喧嘩を売ったり…… そんな様子をビデオに収めていた。
スケーターたちがビデオ撮影を始めたのは、1987年にスケート・ボード・メーカーのパウエル・ペラルタが発売し、大ヒットしたビデオ『The Search for Animal Chin』の影響であろう。
このビデオはジャッカスにも度々登場するアメリカの国民的スター、トニー・ホークを筆頭に、スティーブ・キャバレロ、トミー・ゲレロなど、今では伝説となっているプロスケーターたちが結成したチーム「ボーンズ・ブリゲード」が、街中ですさまじいトリックを決めながら滑走していく様子を捉えたものである。
『The Search for Animal Chin』
それまでスケボーは、スケート・パークのような場所で楽しまれていたが「ボーンズ・ブリゲード」たちが階段の手すりや傾斜、縁石などを利用してトリックを決める姿に触発されたことで、スケボーの「ストリート・スタイル」が生まれるきっかけにもなっている。
また、この頃のスケーターたちは「Skate or Die!」(すべるか死ぬか!)をスローガン的に掲げ、ヘルメットなどの防具は「ダサい」とし、急勾配の坂や車道をいかに過激に滑走できるかを競い合っていた。
90年代に入ると小型Hi-8カメラの誕生により、スケートボードメーカーはこぞってビデオを製作した。特に新興メーカーの作品は、轟々と燃えるスケボーに乗った全裸のスケーターが難易度の高いトリックを決めたり、アッパー系ホームレスを挑発して怒り狂う姿を延々撮り続けるなど、やはり過激に偏っていた。
ジョニー・ノックスビルが自身のスタント・ビデオを最初にスケボー雑誌に持ち込んだのも、そういった経緯をふまえたもので、スケボー・ビデオこそ「ジャッカス」のルーツであることの証左でもある。