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家に帰ること『マイ・プライベート・アイダホ』が示す大切なテーマ ※ネタバレ注意
2020.04.11
※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。
Index
- 多面的な魅力を持つ『マイ・プライベート・アイダホ』
- 徹底したインディーズ・スタイルと、そこに宿る圧倒的な自由
- リヴァー・フェニックスがもたらしたもの
- 現代のストリートに通じていたシェイクスピアの古典
- ネタバレ注意、ラストシーンに込められた切なさと温かさ
多面的な魅力を持つ『マイ・プライベート・アイダホ』
故リヴァー・フェニックスと若き日のキアヌ・リーヴスを配してストリートの男娼の世界を描き、高い評価を得たガス・ヴァン・サント監督の『マイ・プライベート・アイダホ』。公開年の1991年に本作に触れて以来、その素晴らしさをどう語るべきなのか、筆者は今も考え続けている。なにしろ、『マイ・プライベート・アイダホ』は、さまざまな見方ができる。計算されつくしたロードムービー、心のこもったインディーズ映画、美しすぎる男たちのBL話……いずれも正解だ。しかし、そういう多面性が本作の魅力であるのも事実。本稿では、そんな多角度から、この傑作の魅力を探ってみよう。
まずはストーリーのおさらい。舞台は米オレゴン州ポートランド。主人公マイク(フェニックス)はストリートで体を売る天涯孤独の男娼だ。つるんでいる男娼仲間のひとりに、市長の息子だが反抗して家を飛び出したスコット(リーヴス)がいる。そして、彼らに父親のように慕われている自由人にして太った中年男ボブがいる。そんな仲間との暮らしも楽しいが、記憶に残る母を見つけたい。かくして、マイクはスコットとともに母を探す旅に出る。アイダホ、さらには異国イタリアへ。しかし、この旅はマイクに厳しい現実を突きつける。
原作はシェイクスピアの戯曲「ヘンリー四世 第1部」「ヘンリー四世 第2部」「ヘンリー五世」とされている。さらに言えば、それらを混ぜ合わせた1965年の映画『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』に行き着くが、それについては後述する。同性愛者であることを公言するヴァン・サントは1970年代から、ジョン・レチーの小説「夜の都会」に発想を得た、男娼についての映画の企画を温めていた。これにシェイクスピアのエッセンスを融合させたのが『マイ・プライベート・アイダホ』の原型となった。他にもケルアックの小説「路上」や映画『イージー・ライダー』(69)『パリ、テキサス』(84)の痕跡を見ることもできる。
1985年に初の長編映画『マラノーチェ』を発表したヴァン・サントは、これを名刺代わりにしてハリウッドに乗り込み『マイ・プライベート・アイダホ』の企画を売り込んだが、ハリウッドのスタジオが興味を示したのはゲイの話ではなく、ヴァン・サントが別に提案したドラッグ中毒者たちの物語だった。結果、ヴァン・サントの監督2作目は『ドラッグストア・カウボーイ』(89)として世界に放たれ、この映画の成功によって3作目『マイ・プライベート・アイダホ』を作ることが可能になる。