2020.04.24
ものづくりの“理想”を示す、「空想の共有」
『映像研には手を出すな!』は、メインの3人――監督とプロデューサー、アニメーターの3人が、信念をぶつけあって切磋琢磨しながら、1つの作品を作り上げていく「ものづくり×青春ドラマ」でもある。
この「ものづくり×青春ドラマ」は映画においても非常に人気の高いジャンルで、『はじまりのうた』(13)や『シング・ストリート 未来へのうた』(16)、『リトル・ランボーズ』(07)、『ぼくとアールと彼女のさよなら』(15)、『ブリグズビー・ベア』(17)、『グッバイ、サマー』(15)、『バクマン。』(15)、『桐島、部活やめるってよ』(12)など快作・傑作がひしめいているのが特徴。
ここに「部活マンガ」という要素を入れれば前出の『ハイキュー!!』や『ブルーピリオド』、『ちはやふる』や『響 小説家になる方法』、『スラムダンク』まで、さらに多くの作品が該当するが、本作はプロデューサーの金森がメインキャラクターにいることもあって「仕事」の意識が強い。学生の身分を客観的にとらえ、「利用」しつつも「限界」(学外での金銭譲受を学校に禁止される、生徒会が敵役として立ちはだかる)をきっちりと描いている。「部活マンガ」でありつつ「仕事マンガ」に近い位置づけといえよう。
『映像研には手を出すな!』(c)2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
単なる熱血スポ魂ではなく、「冷静な目」が常に存在する――。これは、原作者の大童が学生時代の映画部で監督や脚本家、プロデューサーまで様々な立場を経験したことや、これまでの創作活動で得た知見が生かされているのだろう。
「寝ずに描く」→「完成する」といった力技でなく、「納期から逆算してどんなペース配分で仕上げるか」といった課題があり、そこに対して各々の信念が対立するといった構造も興味深い。金森が仕事論を浅草に伝える「仕事に責任を持つために、金を受け取るんだ」といったセリフや、水崎がアニメーターとしての矜持を語る「大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけない」など、劇中を彩る名ゼリフの多くは、〆切という「現実」に対して折り合いを付けないといけないと理解しつつも、譲れない想いを主張するシーンで登場する。
同時に、各キャラクターの成長をドラマチックに描いている点も見事だ。浅草は金森や水崎と作品を作っていくなかで、自分が脳内で独りで行っていたことが「演出」なのだと知り、美術部への背景の外注やダメ出しを経験して意思伝達能力を培い、金森の「あなたがダメだと思うから、この作品はダメなんですよ。他人なんて関係ない。監督なんすよ、あんたは」といったような叱咤によって、監督としての在り方を学んでいく。
『映像研には手を出すな!』(c)2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
金森もまた、頼れるリーダーでありつつも「見る目を養うのもプロデューサーの仕事」という浅草の意見に賛同し、「現場の苦労を知る」プロデューサーへと進化を遂げていく。父親にアニメ作りを反対されていた水崎は、作品を完成させた後に「作ってて思ったんだよ、『私が生きる』ってことは、こういう物をひたすら作るってことなんだって。これは、もう、どうしようもない」と両親に淡々と「表現者の生きざま」を宣言する。そのどれもが、「仲間」に出会わなければたどり着けなかった思考だ。
このように、『映像研には手を出すな!』には、「理解者と共に、ものづくりを行う喜びや美しさ」が優しく、温かな目線で描かれている。そもそも、「個人の空想の世界に他者が入り込む」という本作固有のシーンも、現実世界のものづくりにおいて最も困難な「イメージの共有」がスムーズに行われている状態を示すものであり、多くの表現者が渇望している「理想」といえる。
本作のキャッチコピーは「最強の世界が爆誕す!!」だが、浅草・金森・水崎の3人が出会った時点で、とっくに「最強の世界」は出来上がっていたのだ。そのため、我々は彼女たちに強く焦がれ、魅了されてしまうのだろう。
ものづくりは、1人では完結しない。だからこそ面倒くさく、最高に面白いのだ。
文: SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」「シネマカフェ」「BRUTUS」「DVD&動画配信でーた」等に寄稿。Twitter「syocinema」
(c)2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会