2020.04.29
なぜ、お祖父さんは孫に本を読み聞かせるのか?
映画版では、原作の二重三重になった入れ子構造がある程度簡略化されてはいるが、メタフィクションであることに変わりはない。映画の冒頭で、テレビゲームに夢中な現代っ子の少年(フレッド・サベージ)が登場する。80年代なのでテレビゲームが恐ろしく原始的なのはご愛嬌として、病気で部屋にこもっているところにピーター・フォーク演じる祖父が訪ねてくる。そして祖父は孫のために朗読を始める。本筋であるキンポウゲとウェスリーの恋と冒険の物語は、あくまでも劇中劇として進行するのだ。
物語は何度も少年と祖父によって中断される。
「またキスしてるよ! キスのくだりは飛ばしてくれない?」
「まあ落ち着きなさい、キンポウゲは○○に食われたりしないから」
「ちょっと待って! ○○が死ぬってどういうこと? じゃあ誰が悪い王子を倒すの?」
その度に、我々観客も物語から現実に引き戻される。もしくは「いま展開しているのはあくまでも作られた物語である」ことを否が応でも認識させられる。そして、いかに我々が「こういうお話はこんな展開になるはず」という先入観にとらわれているかに気づかされる。「おとぎ話だからハッピーエンドに違いない」「悪いヤツは懲らしめられて、愛する二人は結ばれる」そんなおとぎ話の“当たり前”は絵空事でしかないのだと、ことあるごとに釘を刺しにくるのである。
『プリンセス・ブライド・ストーリー』(c)Photofest / Getty Images
映画字幕では文字数制限のために短縮されたり意訳されたりしているが、主人公ウェスリーの有名なセリフにこんなものがある。「Get used to disappointment(失望に慣れろ)」、「Life is pain, Highness. Anyone who says differently is selling something(生きることは苦痛だ、姫様、そうじゃないと言うヤツはなにかを売りつけたいだけだ)」
どちらのセリフも子供向けのおとぎ話にしてはかなりペシミスティックなものだ。本作では気の利いたセリフで笑いを呼ぶ一方で、合間に挟み込まれるブラックな人生哲学が世界観を形作っている。あえてベタなお約束を守ってみせるおとぎ話的な楽観主義と、定石通りにはいかないリアリスティックな人生観がブレンドされているのだ。
卑劣なフンパーディンク王子を演じたクリス・サランドンは、映画の公開30周年のイベントでこう語っている。「子供たちはこの映画をある理由で気に入るだろうが、大人になるにつれ、同じように興奮しながらも、洗練されたユーモアに気づいたり、より深く理解できるようになる。これは自分の成長とともに発展していく映画なんだ」
『プリンセス・ブライド・ストーリー』インタビュー
映画の中盤、思うように進んでくれない物語にイラついた少年は、こんな言葉を祖父に投げつける。「一体、何のために読んでくれてるの?」
この問いかけは、映画を観る行為そのものについても当てはまるのではないか。われわれは一体何のために映画を観るのか。期待通りの物語を味わってスッキリしたい? キャラクターの気持ちに共感したい? それとも人生の機微を感じたり、思いも寄らない新しい体験をしたい? もちろん答えはひとつではないし、『プリンセス・ブライド・ストーリー』もまた、ひとつの答えでは収まらない映画なのである。
参考資料:
As You Wish: Inconceivable tales from the making of The Princess Bride
https://variety.com/2017/film/features/the-princess-bride-turns-30-1202565060/
文:村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
(c)Photofest / Getty Images