2020.05.05
当初は宇宙人の襲来の話になるはずだった?
1960年代初頭、大学でデザインを学んだロメロは卒業後、友人たちとCM制作会社を立ち上げ、洗剤のCMなどを演出、一定の評価を得るようになった。続いてロメロは仲間たちと、憧れの映画製作に乗り出す(ロメロはヒッチコック監督『北北西に進路をとれ』〈59〉の現場でアルバイトをした経験を持つ)。
映画として配給会社に売り込みやすい題材は何か?そう考え時、真っ先に浮かんだのがホラー映画だったという。
脚本は友人のジョン・ルッソとロメロの共同作業だった。ルッソがまず出したアイデアは、地球に飛来した宇宙人が人間を無差別に襲い、その死体を食べる、いうものだった。その宇宙人をロメロが「墓場から蘇った死者」に変えた。実はロメロはつねづねリチャード・マシスンのSF小説「地球最後の男」を映画化したいと考えていた。「地球最後の男」は人間を吸血鬼に変異させてしまうウイルスが世界中に蔓延する中で、ただ一人生き残った男の戦いを描く(現在までに3度映画化、最新版はウィル・スミス主演『アイ・アム・レジェンド』〈07〉)。
『アイ・アム・レジェンド』予告
ロメロは『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』に、この小説のアイデアを引用したと明言している。しかも当時ロメロは自らが考案した「生ける死者(Living Dead)」のことをゾンビとは認識しておらず、劇中でも「グール」という言葉を使っている。
ロメロが発案した「生ける死者」をゾンビと呼ぶようになったのは、それから10年後の監督作品『ゾンビ』(78)(原題『DAWN OF THE DEAD』)の製作に協力したダリオ・アルジェントがイタリアでの公開時にタイトルに「ゾンビ」という言葉を入れたことがきっかけだったという。
つまり当時ロメロは「ゾンビ」という新たなモンスターを作ろうと意識していたわけではなく、結果的に「できあがってしまった」というのが、事実に近いようだ。ロメロも生前「私はよく『ゾンビの父』と呼ばれるが、その評価には違和感がある」と語っている。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』製作にあたりロメロの目指すところはシンプルだった。
『ゾンビ』予告
「とにかくインパクトのある、面白いホラー映画を作りたい」。
『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は完成から50年以上経っても古臭くなっていない。自主製作の低予算ホラー映画として、驚くべきことだ。実際の撮影現場は劇映画のプロがいなかったこともあり、いきあたりばったり、その場でアイデアを出しながら進んだとキャストも証言している。
そんな状況でも、同作が傑作たり得たのは、全編を貫くロメロの冷徹な目線があったおかげだろう。人間が極限的状況下でどのように行動するのかを感情を排したドキュメンタリー的語り口で見せていくことで、緊迫感を醸成し飽きさせない。人肉をむさぼり食らうゾンビや、愛する家族がゾンビになって襲ってくる様を直截に、余計な情緒を排したタッチで見せきることで、映画全体に独特のニヒリズムを通底させることにも成功している。さらに衝撃的にして皮肉なラストで、観客は自分の見たものが特別な映画だったことを心に刻むのだ。
そして同作の公開後、ロメロは自分が世に放った「ゾンビ」には、単なるモンスターでは終わらない、映画表現の可能性が眠っていることに気づかされる。