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『SKIN/スキン』“見た目”に依存する私たちへ――感動実話に潜む、差別への警鐘

『SKIN/スキン』“見た目”に依存する私たちへ――感動実話に潜む、差別への警鐘


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「贖罪」と「断罪」の物語が同居



肌に刻んだ、忠誠の証。

だが、心が気づいてしまった。“自分”になりたいと。

周囲も、世間も牙をむく逆境。彼は、己の人生を取り戻せるのか――。


 『リトル・ダンサー』(00)のジェイミー・ベルが、全身タトゥーのレイシストに扮した『SKIN/スキン』(18)が、日本公開を迎えた。アカデミー賞短編映画賞に輝いた同名作の長編版(ストーリーは別)であり、北米配給はあのA24が手掛けている。これらの実績から、公開を楽しみにしていた方も多いだろう。


 白人至上主義団体を率いるクレーガー(ビル・キャンプ)とシャリーン(ベラ・ファーミガ)に育てられた、ブライオン・“バブス”・ワイドナー(ジェイミー・ベル)。団体の幹部でもある彼は、ある日シングルマザーのジュリー(ダニエル・マクドナルド)と出会ったことで、自らが歩んできた人生に迷いを抱き始める。ジュリーや3人の娘と、真っ当な人生を歩みたい――。生き方を変えようと誓ったブライオンは、団体を抜けようとするが、その道は険しく……。


 『SKIN/スキン』のぱっと見の印象は、強烈なビジュアルもあって、バイオレンスたっぷりな過激作に思えるかもしれない。ただ、この映画の中身は、過言でもなんでもなく――実話をベースにした感動作だ。



 描かれるのは、「人は変われるのか?」という真摯なテーマ。レイシストとして生きてきた青年が、コミュニティを抜けて“カタギ”になろうとする物語が展開される。ただ、主人公は根っからのレイシストではなく、暴力をふるう親から逃げて路上生活をしていたところをレイシストの夫婦に拾われた、という設定だ。見た目はゴリッゴリのレイシストだが、中身は純朴な青年。“肌=SKIN”と性格の相克が、常に発生している状態といえる。


 ここから浮かび上がってくるのは、「何が人を狂気に向かわせるのか?」という深遠な問い。理解できない純粋悪を描く作品ではなく、差別や偏見とは無縁だった子どもが、親の教育や暴力によって性格がゆがみ、そのまま大人へとなってしまった姿を見つめた本作は、保護者に対する社会的な責任を静かに訴える。つまり、「人は変われるのか?」という題意の中に、「人を変えてしまってもいいのか?」が含まれているのだ。


 劇中では、クレーガーが道で少年に声をかけ、仲間に引き入れるシーンも描かれるが、かつてのブライオンを想起させる演出であり、同時に「衣食住を保証する」ことが、行き場をなくした若者にとってどれだけ甘美な響きを持つのかということを、まざまざと感じさせる。ブライオンがそうだったように、思想は後からついてくるのだ。洗脳は時間がかかるが、懐柔は容易にできる――。貧困につけ込むクレーガーとシャリーン夫妻のやり口は、実に効果的で恐ろしい。彼らは視野の狭まった思想家ではなく、人間の根源をちゃんとわかっているのだ。


 本作では、彼らに管理され、「染まってしまった」被害者を描くことで、加害者の存在にも鋭く切り込んでいる。ブライオンがジュリーに言う、「普通じゃないとわかっているけど、俺の家族だ」というセリフに象徴される、偽らざる葛藤とどうしようもない現状。ブライオンは差別主義者かもしれないが、彼を「変えた」者は別にいる。


 贖罪の物語でありながら、断罪の物語でもある――。この部分は、『SKIN/スキン』の根幹として、力強く存在感を放っている。



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