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『グラン・トリノ』イーストウッドだからこそ果たし得た“次世代への継承”と“贖罪”の物語 ※注!ネタバレ含みます。
引き金を引かないイーストウッド
アメリカ自動車産業のシンボルであるフォード社で50年勤め上げたあと、すっかり東洋人の街と化したデトロイトで隠居暮らしを続け、アメリカ国旗がはためく自宅のポーチで一人缶ビールを飲み、悪態をつきまくるコワルスキー。彼は時代に取り残された“古き良きアメリカ人”であり(家族にさえ『いまだに50年代を生きている』と言われる始末だ)、愛車グラン・トリノはその象徴。
そんな彼がモン族と出会い、次第に家族よりも精神的な結びつきを感じるようになる。コワルスキーが愛車グラン・トリノをモン族の少年タオに託したのは、真にアメリカ的なものを守り続けてきた男イーストウッドからの、世代や人種を超えた“次世代への継承”でもあった。だが、その“継承”はかつてのイーストウッド映画のように、血にまみれたものであってはならない。
『グラン・トリノ』(c)2009 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
『荒野のストレンジャー』(73)や『アウトロー』(76)を例にあげるまでもなく、イーストウッドは常に「復讐」という最も明快な西部劇的主題を描いてきた。彼がひとたび銃を手にしたならば、そこには多くの血が流れることだろう。しかし、ウォルト・コワルスキーは「復讐」のために引き金を引かない。骨と皮だけになった指で銃の引き金を引く真似をするのみで、チンピラたちが雨あられと発射するマシンガンの銃弾に倒れる。イーストウッド映画史上初めての事態に、黒沢清をはじめ多くのイーストウッド映画ファンが度肝を抜かれた。
「人を殺してどう感じるか?この世で最悪の気分だ」
チンピラを殺しに行こうとイキりたつタオに向かってコワルスキーが投げかける言葉は、過去のイーストウッドの所業に対する贖罪の言葉でもあっただろう。ニック・シェンクはインタビューでこんなコメントを残している。
インタビュアー「イーストウッド作品を目撃してきた者にとり、彼がライフルを手にすれば死人が出ると覚悟します。しかし、彼は一度も発砲しません」
ニック・シェンク「そう、彼が作品中唯一撃ったのは、ガレージの壁に掛かっていたビールの看板なんだ。クリントが銃を持てば、悪い奴らをなぎ倒してくれると誰もが期待する。しかし、この作品ではそうはならない」
インタビュアー「ドン・シーゲル、セルジオ・レオーネ、さらに自分が監督し背負い続けてきた西部劇というジャンル、ガンマンという記号を追い続けてきたものにとり、作品の終盤必ずやリベンジが果たされるものと期待するわけです」
ニック・シェンク「そう、その期待を裏切るという意味では、ダーティ・ハリーの真逆をゆく作品になります」
(ユリイカ クリント・イーストウッド特集より抜粋)
そう、『グラン・トリノ』はイーストウッド演じる主人公とイーストウッド自身を我々が同一視してきたがゆえに、“次世代への継承”と“贖罪”が機能する映画となったのだ。それってクリント・イーストウッド以外には誰も果たし得ない、とてつもないことなのだが。
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
『グラン・トリノ』
ブルーレイ ¥2,381+税/DVD ¥1,429 +税
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