ノーランの作家性が刻まれた幻惑のビジュアル
クリストファー・ノーランの監督作品を振り返ったとき、脚本を兼任していないのは本作のみ。先にも述べたとおり、本作の脚本はヒラリー・セイツが手がけており、それがある程度かたちになった段階で、ノーランはスタジオに監督として起用された。ぶっちゃければ、雇われ監督である。にもかかわらず、本作には以後の作品に通じる彼のトレードマークともいうべき作家性が随所に見てとれる。
たとえば、CGに頼らず、極力本物をフィルムに収めようとする姿勢。ロケの多くはカナダのブリティッシュコロンビアで行なわれたが、ノーランはとにかく自然光にこだわり、人工的な照明の使用を極力、抑えたという。舞台となる白夜の街のやわらかな光が印象に残るのは、そのせいだ。
『インソムニア』(c)Photofest / Getty Images
ドーマーがエッカートを射殺する場面でも、実際に霧を発生させて撮影に臨んだ。21世紀の技術であれば、CGの霧を合成することは不可能ではないが、そこにもノーランはこだわった。冒頭のアラスカの圧倒的な空撮シーンも同様だ。自然の荒々しさの俯瞰は絵画のようで、デジタル合成に見えなくもないが、これらはすべてフィルムによって収められたアラスカのありのままの風景だ。
インサートカットを好んで用いるのもノーラン作品の特徴だ。たとえば、ドーマーがエッカートの妻に夫の死を電話で伝える場面。ここでは彼の沈痛な表情に、落ち着きなく鉛筆にふれる手の映像がインサートされる。電話口で泣き崩れる相棒の妻に、嘘を言わなければならない葛藤や気まずさ、動揺。それが伝わってくる編集からもノーランの非凡な映像表現術がうかがえるというものだ。