『アンヘドニア』から『アニー・ホール』へ
もともと、この映画のタイトルは『アニー・ホール』ではなく『アンヘドニア』で、アニーではなく、アルヴィーの内面の苦悩を描いた作品になる予定だった。しかし、編集段階で、恋人たちの物語に変更され、タイトルも変えられることになった。今年、アメリカで話題を呼んだアレンの自伝“Apropos of Nothing”(Arcade刊)の中でアレンはその経緯を次のように書いている。
「最初にこの映画につけられたタイトルは『アンヘドニア』だった。これは心理学用語で、喜びを感じることができない人という意味だ。配給会社のユナイテッド・アーティストは映画の中身はすごく気にいってくれたが、タイトルはいただけないと思っていた。会社と論議となり、このタイトルはやめることになった。代案として『スウィートハート』という題が出たが、すでに同じ題の映画があって、これも使えなかった。(中略)『アルヴィーとアニー』という題も上がったが、最終的には『アニー・ホール』になった。キートンの本名を持ち込んだ題名を使うことになった」(註:彼女の本名はダイアン・ホール)
『アニー・ホール』(c)Photofest / Getty Images
また、『アニー・ホール』の時、オスカーの授賞式に行かなかった理由についてアレンは自伝でこう記述する――「その授賞式の夜、僕はニューヨークでジャズを演奏していた。その頃、弾いていたのは“ジャッカス・ブルース”だろうか。キング・オリヴァーの演奏で有名な曲だ。僕としては授賞式に参加できないのはギグがあるから、と言っていたが、もし、時間があったとしても受賞式には行かなかったと思う。芸術的な分野で賞を与えるという考え方が好きになれない。競争を目的として作られたわけではないからだ。芸術的な表現欲求によって生まれ、できれば見る人に楽しんでほしい、という気持ちが託されているのが作品だからだ」
映画界に媚びるのではなく、マイペースを貫くアレンの姿勢がそこには出ている。おもしろい映画を作りたい、という素直な思いが託された作品だからこそ、『アニー・ホール』は今も愛され続けているのではないだろうか。