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『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」

(c) 2019 9375-5809 QUÉBEC INC a subsidiary of SONS OF MANUAL

『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」

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ドランを支え、導いた「4本の映画」



 『マティアス&マキシム』は、親友同士に訪れる気持ちの揺らぎを描いたラブストーリーだ。“罰ゲーム”でキスをすることになった、幼少期からの親友マティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(グザヴィエ・ドラン)。ふたりの間に突如芽生えた、これまでにはない感情。一方は受け入れようとし、もう片方は拒絶しようとする。だがどちらも、もう元には戻れない。震えるように繊細な葛藤が、全編にわたって紡がれていく。


 本作で興味深いのは、その成り立ち。『君の名前で僕を呼んで』(17)を鑑賞し、「しばらく動けないほどに感動した」と感銘を受けたドランは、その感慨を胸に、脚本執筆にとりかかったという。それが、本作だったというわけだ。さらに、『マティアス&マキシム』にはあと3本、ドランが感謝をささげた作品が存在する。『ゴッズ・オウン・カントリー』(17)、『ブルックリンの片隅で』(17)そして彼が出演した『ある少年の告白』(18)だ。


 この4本はすべてセクシャルマイノリティを描いた作品であり、これらの存在が『マティアス&マキシム』でふたりの青年のラブストーリーを描くことへの、大きな支えになったという。ドランの監督作はこれまでも一貫して同性愛の要素が入っていたが、彼自身もその点に対する内外の声に悩んでいたのだとか。



『マティアス&マキシム』(c) 2019 9375-5809 QUÉBEC INC a subsidiary of SONS OF MANUAL


 そもそも、そこだけを切り取って論ずること自体、妙な話ではある。ドランが描き続けているのは、徹頭徹尾“愛”そのものであり、恋愛感情が性別に依存するという感覚は、今日的とはいえないだろう。とはいえ、良くも悪くも反応は多かったらしい。


 ただ、同じ映画人が作り上げた作品を観たことで、モチーフを貫く勇気を得たという。変にプライドを固持するのではなく、「映画に救われる」と言ってしまう部分がなんとも素直で(映画の冒頭でも、それぞれの監督に謝辞を述べている)、ドランのピュアな性格を表しているようだ。


 また、撮影地とクルーも、彼にとって“ホーム”といえるものとなった。「どうしても地元カナダ・ケベックで仲間たちと撮りたい」と感じたドランは、脚本は完成していたものの『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』(18)の制作後まで撮影を待ち、帰郷したのちに65mmフィルムで 48 日間かけ、本作を撮り上げたという。プロデューサーや撮影監督等、スタッフもドラン作品おなじみのメンバーがそろい、キャストにも彼の作品のミューズといえるアンヌ・ドルヴァルが名を連ねている。


 そして何より、ドランも役者として出演。メインキャラクターとなる青年マキシムを演じている。ここにも興味深いエピソードがあり、本人は出演するつもりはなかったものの、友人たちの「自分で演じなかったら後悔する」というアドバイスに背中を押されたのだとか。こういった部分からも、本作はドランにとって極めてリラックス出来る環境で制作されたということが伝わってくる。


 ちなみに、前作『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』はドランにとって初の英語作品であり、ナタリー・ポートマンやスーザン・サランドン、キャシー・ベイツ、キット・ハリントン、ジェイコブ・トレンブレイといった錚々たるキャストが集結。ドラン自身、気負う部分も大きかったことだろう。この映画の後に制作したことで、『マティアス&マキシム』はより自由かつホームメイドな雰囲気に仕上がったといえるかもしれない。



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