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『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」
2020.09.24
『TENET』ノーラン監督との符合
描写に関しても、『Mommy/マミー』(14)で象徴的だった画面サイズの変化、『たかが世界の終わり』で顕著だった殴り合うほどの言葉と激情の応酬、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』で試した空撮といったようなドラスティックなものは鳴りを潜め、シンプルかつストレートなものに終始している。
『マティアス&マキシム』には大きく分けて、2回の重要なキスシーンが用意されているが、日本版のポスターでも使用されているファーストキスのシーンでは、あえて直接的な表現は避け、2度目のキスシーンは、画づくりと音楽で徹底的にエモーショナルに盛り上げるなど、奇をてらったところがまるでない。感動的なほどわかりやすく、作り手の純粋な“想い”がダイレクトに伝わってくる。
泳ぐ、走る、空を見上げる、鏡を割る、といったアクションも、極めてラブストーリー的で、「本作でしか観たことがない!」という感覚よりも、「ドランが王道をやっている!」という見え方になるのではないか(これらのある種ベタな動作の魅せ方が逆説的に、ドランのビジュアルセンスが際立っていることの証明にもなっている)。
『マティアス&マキシム』(c) 2019 9375-5809 QUÉBEC INC a subsidiary of SONS OF MANUAL
ちなみに、ドランが演じたマキシムは頬に大きなアザがあるが、これはコンプレックスの象徴でもあるという。そこに対して仲間たちが何も言わない=信頼と受容の表れ、という構図も、意図が淀みなく伝わってくる、実に正直なアプローチだ。もちろん冒頭にも述べたとおり、グザヴィエ・ドランというクリエイターは、ピュアであり続けるところに凄みの一端が感じられるが、それにしたって『マティアス&マキシム』での演出の数々は、気持ちがいいくらいにまっすぐだ。
このように、本作はどこを切り取っても、ため息をついてしまうほどにキラキラと清さが輝いている。繰り返しになるが、クリエイターは作品を重ねていくごとに手法も創作物もこなれていくものだ。ピュアさが売りだとしても、意識的に扱えるように変化していく。しかしことドランに至っては、『マティアス&マキシム』でまさかの原点回帰どころか、ピュアさのゼロ地点を越えた“逆行”を成しとげてみせた。しかしセンスは研ぎ澄まされたまま、純粋さは突き抜けていく――。やっぱり、グザヴィエ・ドランは天才と言わざるを得ない。
余談だが、これはひょっとしたら、『TENET テネット』(20)で自分の念願だったスパイ映画に挑戦し、作り手としての喜びがほとばしりきった、クリストファー・ノーラン監督に通じる部分かもしれない。
『TENET テネット』予告
2作品とも、クリエイターとしての純粋な「いま、作りたいものをやりきる」という創作欲に身を任せた結果、「私的な嬉しさ」が隠せていない。スクリーンからはみ出す“隙”に、ついついほっこりさせられてしまう。ドランはラブロマンス、ノーランはスパイ映画。「ずっとやりたかった」ジャンルに挑むとき、そこには特大の映画愛がにじむのだろう。
ノーランのフィルモグラフィにおいて『TENET テネット』が特別なポジションにあるように、この『マティアス&マキシム』というプライベートフィルム的な一作は、今後のドランの監督人生の中でも、永久欠番的な地位を占めていくに違いない。
文: SYO
1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」 「シネマカフェ」 「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。Twitter「syocinema」
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『マティアス&マキシム』
9月25日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ファントム・フィルム
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