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『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」

『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」


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グザヴィエ・ドラン、その“不変”の感受性



 この感情を認めれば、きっと全てが変わってしまうだろう。

 だが、もう遅い。僕らは、あの夜からとっくに想っていた。


 グザヴィエ・ドランは、天才だ――。この評価はもはや、彼を語るうえでは規定値といえる。むしろ重要なのは、「ドランは“何の”天才なのか?」というところ。


 あくまで私見だが、彼は「感受性の天才」ではないか。ここまで作品ごとに思考と嗜好、成長が如実に反映されるクリエイターも珍しい。つまりドランは、映画界の未来を背負った世界的な若手監督でありながら、感受性が“純”であり続けているのだ。


 通常であれば、映画監督はキャリアを積むほどに“馴れ”との闘いになり、初期作のようには作れなくなっていくもの。観る者にとっても、「完成度は増したが、昔のような不安定な繊細さはなくなってしまった」と感じられる場合が多い。それはある種の順調な成長曲線であるともいえるし、クリエイターは総じてそのような道をたどっていくものだ。


 未熟であることの、功罪とでも言おうか。発展途上がゆえの整わなさが目立つ一方で、「若いからこそできた」表現――むき出しの個性が、観る者に強く訴えかける。その2つを隠さず提示することで、映画監督は鮮烈なデビューを飾る。そして作品を経るごとに描く内容は分厚く、対照的に筆致の“揺らぎ”は薄くなっていく。



 ただし、ドランはこの点において、きわめて異質だ。彼の作品は、初期作から最新作『マティアス&マキシム』(19)に至るまで、徹底的にピュア。繊細かつ不安定で、感情を正直にぶつけてくる。「自分がそのまま出るタイプ」のクリエイターでありつつ、その源泉である“自分”=作家性が、無垢な少年のように青い光を放ち続けているのだ。


 幼少期から芸能界で活躍し続けて、カンヌ国際映画祭をはじめ国際的に評価され、世界中の若者の憧れである人物にもかかわらず、ドランはまるで“落ち着く”ことがない。世界でたった1人のように孤独感をたたえ、愛されたいと訴え、好きな音楽や気に入った描写を次々と盛り込んでくる。不変の感受性――これこそが、誰も彼に追いつけない唯一無二の個性のような気さえする。


 最新監督作『マティアス&マキシム』でもって、このドランの特長は、より明確化された。ここからは作品の中身に沿いながら、彼が紡ぐ世界の尽きない魅力に、迫っていきたい。



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