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『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」
2020.09.24
超・王道なラブストーリーが展開
ある意味、非常にパーソナルな環境で作り上げられた『マティアス&マキシム』。それゆえに本作には、これまで以上に、いやひょっとしたらドラン史上最高純度の「清さ」が満ちている。
誤解を恐れずに言ってしまえば、本作の展開や設定自体は、驚くほどに王道だ。「戯れでしたキスで、互いが互いを意識するようになる」「親友に対して抱いてしまった、初めての感情に戸惑う」「やがて、この気持ちが恋慕と気づいたふたりの運命は?」――ここに「婚約者の存在」「異国への旅立ち」といった行動や時間に対するリミット、つまり試練が挿入される。
ドラン自身も「普遍的なロマンス」と語っているように、何十年、いや何百年もの間世界中の人々に親しまれてきた「鉄板」を、丁寧になぞっている。実写映画だけでなく、アニメや漫画でも十分に輝き、誰しもの心に響くであろうストーリーラインだ。物語だけを抜き出してみたとき、その“まっすぐさ”に驚かされるのではないか。
往々にしてラブストーリーは、ドラマを盛り上げるために“障壁”を用意するものだが、本作の「これまで異性愛者で、婚約者もいるからこそ新しく生まれた感情に不安を覚える」という流れは、『キャロル』(15)や『ブロークバック・マウンテン』(05)にも共通しており、これもまた“あるある”な要素である。
『マティアス&マキシム』(c) 2019 9375-5809 QUÉBEC INC a subsidiary of SONS OF MANUAL
強いて言うなら、これまでとの違いは「周囲の偏見や無理解」が強くは描かれない部分かもしれないが、むしろ今時、同性愛のカミングアウトは普通のことだし、むしろ“敵”は内側(自分自身)の葛藤である、という文脈なのは、全く違和感がない。どちらかといえば「親友に恋心を抱いてしまった結果、何十年も築いてきた関係性が壊れる」ことのほうが重要だ。
幼なじみを恋愛対象として見てしまうようになり、心地よかった場所がなくなってしまうのではないかとおびえる――。この感覚自体は実に共感性が高く、前情報が一切ない状態で観ても、ぐっと身を入れてしまうのではないか。
さらに興味深いのは、これまでのドラン作品で多く描かれてきた「母との複雑な関係」というテーマの扱い方について。「虐げられても大切に思ってしまう、親子や家族愛の深さと残酷さ」を描くツールとしてはもちろんだが、キャラクターが恋に邁進できないブレーキとしての役割が、これまで以上に明確に課されている。
家族が「離れられないもの」以上に、シンプルに“重荷”として描かれるのは、ドランが自分の“個性”をよりシンボリックに使っていることの表れかもしれない。もしくは、従来の監督作品では複雑にこんがらがっていた感情をそのまま出していたのが、今回は解きほぐして提示しているともいえる。或いは、土台が端的なものになったため、引っ張られた部分もあるだろう。
つまり『マティアス&マキシム』は、ドラン的な要素がありつつも、ストーリーラインが極めてメジャーなものになったため、自浄作用的な効果が発生している。ドラン作品におなじみのモチーフが、より純粋無垢なものに浄化され、浮き立っているのだ。