物語に散りばめられた寓話性
『つぐない』の頃は12歳だったシアーシャ・ローナンも『ハンナ』の頃は16歳。4年ぶりに共に仕事をするにあたって、ライト監督は彼女の成長ぶりに驚きを隠せなかったそうだ。もちろん身体的に大きく変わった。だが、内面から発せられる彼女らしさは全く失われておらず、むしろ進化を遂げて揺るぎないものとなっていた。二人はきっと、かつての絆をさらに更新し、表現者として同じ目線で深く向き合いながら、映画作りを進めていったに違いない。
そんな中、たびたび議論の俎上に登ったのが本作の「寓話性」だった。脚本の段階でその要素は少なからずあったのだろうが、そこに、幼い頃からグリム童話やアンデルセン童話にどっぷり浸かりながら育ってきたジョー・ライトの感性が加わると、かくもユニークな世界観がより濃厚に浮かび上がってくる。
例えば、世俗から隔絶された世界からスタートするのも、おとぎ話によくあるパターンだし、一緒に暮らす父親もよく見かける“気難しい木こり”のよう。やがて少女は通過儀礼にも似た瞬間を経て世界へと飛び出し、その過程で、痛みを伴いながら、自分が何者なのかを知る。そして最後には「悪い魔女」との対決が待っている————なるほど、すべてはピタリと寓話の流れに当てはまる。
『ハンナ』(c) 2011 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
ライト監督はローナンに対して、よく「人魚姫」になぞらえて演技指導し、ハンナという役柄に10代の多感な時期特有の「意欲」と「衝動」をみなぎらせることを求めたという。
そうやってあらゆるものを自分の中に取り込み、シアーシャ・ローナンが主人公の超絶少女になりきっていく様は、時に壮絶で荒々しく、またある時にはみずみずしく、繊細だ。
と、ここでふと気づかされるのは、彼女が出演するどの作品にも、多かれ少なかれ「無垢なる少女がやがて外の世界を知る」という流れが組み込まれている、ということである。
そして、これほど似た旋律の映画に数多く主演しながら、各々を全く異なるハーモニーとして奏であげてしまうところに彼女の凄さがある。これぞどんな題材や素材にも自在に染まることのできる、透き通った存在感のなせるわざ。本作でもその身にアクションと寓話性を掛け合わせることによって、全く異質のヒロイン像を獲得しているのは言うまでもない。