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『SOMEWHERE』孤独の描き手、ソフィア・コッポラ監督が紡ぐ「ひとときの救済」

(c)2010-Somewhere LLC

『SOMEWHERE』孤独の描き手、ソフィア・コッポラ監督が紡ぐ「ひとときの救済」

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洗練された外見と、切実な中身のギャップ



 『SOMEWHERE』が持つ、ささやかな“個人”の雰囲気。どこか私小説的で、思い出が詰まったアルバムをめくるような懐かしさが漂うのは、ソフィア・コッポラと父フランシス・フォード・コッポラの関係性を下敷きにしているからだ。


 芸能一家に生まれたソフィアは、幼少期にホテルで暮らしていた経験を作品に織り込み、知人や友人の体験を複合的に絡め、さらに自分が母親になったことで起こった心境の変化などを脚本に反映させていったという。そのため、「自伝ではない」との発言を行っている(そもそも監督ではなく、俳優の父と娘の物語でもある)。


 ただ、ストーリー的にはそうであっても、作品に流れる「父の孤独」と「娘の寂しさ」、2人が過ごす「モラトリアムな時間」は、穏やかなトーンとぶつかり合うように哀切だ。本作が観る者の心を引き付けて離さないのは、この部分に“嘘”がないからだろう。そしてまた、ソフィア・コッポラというクリエイターの上手さは、この「フィクションの中に真実の感情を混ぜる」点にあるような気がしてならない。



『SOMEWHERE』(c)2010-Somewhere LLC


 よく言われる彼女の監督としての武器は、高い美的センス。第一にデザイン的であり、小道具から美術、衣装に至るまで、その空間に行きたくなるような、小物を実際に持ちたくなるような「日常をベースにしつつ、お洒落な世界観」の構築に長けている。アーリーアダプター的な楽曲使用も魅力的。要は、ソフィアの映画は作品世界に完結せず、多様なカルチャーへの入り口であるわけだ。故に、アートやデザイン、ファッションに興味関心がある若い世代からも厚く支持されている。


 しかしながら、彼女の創作者としての真骨頂はやはり、狂おしいほどの孤独を、傍観するように冷静に見つめた「感情と視点の距離感」といえるのではないだろうか。心では「寂しい。孤独を埋めたい」と思いながら、素直に表出できない。外見は洗練されながら、中身は千々に乱れている――。ソフィアの作品に顕著なこのギャップは、非常にアーバンで現代的だ。SNSやスマートフォンが登場しなくても、いまを生きる私たちが抱える空虚と、ダイレクトにシンクロしてくる。そのため、ソフィア・コッポラの作品群は、時を経ても廃れるどころか、一貫してリアルタイムな「私たちの物語」であり続けている。



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