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『SOMEWHERE』孤独の描き手、ソフィア・コッポラ監督が紡ぐ「ひとときの救済」

(c)2010-Somewhere LLC

『SOMEWHERE』孤独の描き手、ソフィア・コッポラ監督が紡ぐ「ひとときの救済」

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 “救済”を象徴するエル・ファニングの存在感



 時を経るごとに、内にこもっていた孤独感が染み出してくる――。『SOMEWHERE』は、「時間」の描き方も優れている。本作で描かれる父娘の幸福な時間は、あくまで限定的なのだ。ジョニーとクレオが過ごせる時間は、彼女がサマーキャンプに行くまでの間だけ。彼がスターである事実も、忙しさも変わらず、最初から「また離ればなれになる」エンディングが決められている。


 もちろん、今生の別れではないし、これからも2人は父娘であるため、絆は生き続ける。ただ、娘との貴重な時間は、きっともう還ってこないだろう。全体を通して優しい時間が流れる映画ではあるものの、同時に「タイムリミット性」をも感じさせる本作。だからこそ静かに、だが確実に、画面に占める哀しみの度合いは増えていく。


 「期間限定」という観点は、『ロスト・イン・トランスレーション』を筆頭に、『ヴァージン・スーサイズ』でも『ブリングリング』でも、『マリー・アントワネット』でもみられる特徴でもある。ソフィアの監督作品は、往々にして時間制限が設けられているのだ。そして、ここで非常に効いてくるのが、エル・ファニングのキャスティングである。



『SOMEWHERE』(c)2010-Somewhere LLC


 スティーヴン・ドーフに関してはほぼ当て書きだったというが、意外にもソフィアの中で、クレオ役のイメージは固まっていなかったよう。そこに、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(08)を観て感銘を受けた、ソフィアと親交の深いプロデューサー、フレッド・ルースがエル・ファニングを推薦。彼女と実際に会ったソフィアは、起用を決めたそうだ(確かに、ケイト・ブランシェット演じるヒロインの幼少期に扮した同作での、彼女の存在感は群を抜いている)。その決断が功を奏したのは、言うまでもない。


 本作のエルは、内側から発光しているかのようにキラキラと輝き、父ジョニーの“救い”となるばかりでなく、観客の心をも魅了する。慣れない手つきで料理を作ったり、ゲームを行ったり、ソファに寝そべったり……プールに潜って、ジョニーとジェスチャーに興じる姿は、観ているだけで涙が自然と頬を伝ってしまうほど、多幸感に満ちている。



『SOMEWHERE』(c)2010-Somewhere LLC


 驚くべきは、エルが取り立てて特徴的な動作を行っていないにもかかわらず、神々しいまでに美しく、目に焼き付いて離れないということ。恐らくそれは、「再現性がない」からだろう。エル・ファニングという役者の「今しかない瞬間」を見事にとらえ、真空パックしているからこそ、フィクションの枠を超えた“何か”が、宿っているのだ。そしてそれを成しえたのは、ソフィアがこれまでの作品で「少女性」をずっと追求し続けたが故であろう。


 ソフィアの作品において、キルスティン・ダンストやスカーレット・ヨハンソンといった女優たちは非常に重要な存在だが、エルは彼女たちとはまた違ったベクトルで、圧倒的な無垢さを発揮。新たなミューズとして、名乗りを上げた。


 ソフィアとキルスティン、エルの結びつきは強く、『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』でも再タッグ。本作では、かつてソフィアの監督作品で奔放さを体現していたキルスティンが抑圧された女性を演じ、イノセントの権化だったエルが色香を醸し出すなど、少女性が女性性へと変化していったことをうかがわせる。



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