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『刑事ジョン・ブック 目撃者』映画が描いたアーミッシュ、その異世界への気づき

(c)Photofest / Getty Images

『刑事ジョン・ブック 目撃者』映画が描いたアーミッシュ、その異世界への気づき

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説明的な描写を省くことで生まれた解釈の余地



※なるべくネタバレを避けたいので詳細は省きますが、ラストに言及するので、ネタバレが気になる人は映画をご覧になってからお読みください。


 レイチェルとジョンの関係は、典型的な「美女と野獣」のパターンを踏襲していて、お互いを理解し、影響を与え合うことで少しずつ変わっていく。ジョンは他人を尊重する礼節を学び、アーミッシュの生活に触れて、暴力が当たり前だった人生から一時だけでも解放される。レイチェルもまた、ジョンへの好奇心や思慕が芽生えたことで、しきたりを最優先するアーミッシュの生き方を見つめ直すことになる。


 しかし結局は、ふたりが一緒になることはない。ジョンとレイチェルとの文化的な溝は埋まることはなく、それぞれが自分たちが属する世界に戻っていく。いや、お互いの異なる価値観を認め合ったからこそ、愛する相手を本来属する世界に返そうと決意した――そう解釈する方が個人的にはしっくりくるが、ご覧になった方はいかがだろうか。


『刑事ジョン・ブック 目撃者』(c)Photofest / Getty Images


 ピーター・ウィアー監督は、脚本にあったセリフを大量に削り(初期稿は3時間の分量があった)、言葉で説明することを極力避ける方針を取った。その結果として、脚本を執筆したウィリアム・ケリーとアール・W・ウォーレスが本来意図していたよりもアーミッシュの精神を尊重した作品になったことが、初期脚本の要素が色濃く残るノベライズ版と比較することでわかる。


 例えばノベライズ版では、レイチェルはジョンが正義のために振るう暴力を肯定するようになる。最終的には、「あんなに素晴らしい殴り方をする人はいない」とさえ考えている。これはアーミッシュの教義に完全に反するものだ。一方で映画にはもっと解釈に幅があり、少なくともレイチェルがジョンの暴力に魅せられていると明示される描写はない。


 役者の演技もまた、作品に幅を与えている。ある晩ジョンはレイチェルが体を洗っているところに出くわしてしまう。レイチェルは半裸のままゆっくりとジョンの方を向くのだが、ジョンはレイチェルに惹かれているのに、何もできないまま立ち尽くす。


 ノベライズでは、レイチェルは翌日にジョンに身を任せようとしていた気持ちを告白する。ウィアー監督も、レイチェルからの性的な誘いがあったコメントしているのだが、レイチェルを演じたケリー・マクギリスは「性的な意図はないと思って演じた」と断言する。マクギリスは、アーミッシュらしい純粋さを失っていないレイチェルは、性的な駆け引きをするような女性ではないと解釈していたのだ。


 実際、マクギリスのフラットな表情のおかげで、彼女の眼差しの真意がわからずに戸惑うジョンの心情が伝わる名シーンになっている。誰が正解だというわけではなく、説明を省いたことで、ここでも解釈の余地が生まれているのが面白い。




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