『スケアクロウ』あらすじ
ある日、暴行の罪による6年間の刑期を終えたマックスと、元船乗りのライアンが旅の途中で出会う。マックスは商売のため、ライアンは一度も会ったことのない子供に会うためにヒッチハイクをしていた。正反対の性格ながら何故か意気投合をしていく二人。そんな中、道中のバーにてマックスは喧嘩騒ぎを起こし、施設送りになってしまうのだが....。
Index
“廃材”から生まれる物語
“Scarecrow is beautiful!”
“カカシは美しい!”──実際に本物のカカシを前にして、そんなふうに思ったことは正直なところ一度もない。田舎道を歩いていて不意に彼らに出くわせば、「crow(カラス)」どころか、私たちの誰もが「scare(怖い)」な思いをすることだろう。しかしよくよく彼らを見てみると、意外にも親近感が湧いてくる。それは彼らが“人間のような”見た目をしているからではない。彼らの多くが、私たちの身近にある廃材を利用してつくられているからなのだと思う。そのカラダを構成しているのが廃材なのだから、とうぜん見た目は粗末でみすぼらしいものがほとんどだ。しかし立ち止まり、振り返ってみる。ひょっとすると彼らの目的は、出会う者に恐怖を与えることではないのかもしれない。
──そんなことを思わせてくれる映画は、おそらくこの世にひとつしかない。ジェリー・シャッツバーグ監督による『スケアクロウ』(73)である。第26回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した本作は、対照的な性格の男同士の友情を描いた作品だ。「カカシ」を意味するタイトルから分かるとおり、彼らの見た目はみすぼらしい。しかしそれは旅路(物語)をとおして、“見た目に過ぎない”ことがやがて分かることだろう。外面=内面とはかぎらない。
『スケアクロウ』予告
本作は、6年間の刑務所生活を終えたマックス(ジーン・ハックマン)と、5年間の船乗り生活を終えたライオネル(アル・パチーノ)によるロード・ムービーだ。身長190センチ近い巨漢のマックスと、170センチほどしかない小柄なライオネル。それぞれが各々の目的地に向かってヒッチハイクをしている途中、ふたりは出会い、行動をともにすることになり、やがて互いがかけがえのない存在となっていく。
暴力沙汰で刑務所に服役していたマックスと、身ごもった妻とそのお腹の子どもを置き去りにして旅に出ていたライオネル。現状に対してそれぞれの言い分があるにせよ、彼らは両者ともに、一般社会の“はみ出し者”だ。社会から生み出された廃材だといえるかもしれない。さらに突き詰めればこのロード・ムービーは、そんな廃材が生み出す物語だともいえる。人間の見た目をしているその姿は、さしあたりカカシのようだといえるだろう。
それなりにまっとうな社会生活を送っている人間からすれば、彼らは普通ではない。アメリカン・ニューシネマの台頭によって生み出された、自由を希求し決起する者たちともまた違う。彼らは誰からも必要とされることがない。なぜなら繰り返すように、彼らは“廃材=はみ出し者”のように見られてしまっているからである。