2021.01.30
ヤクザを「装置」として扱う現代へのカウンター
『新聞記者』に続く、藤井監督とスターサンズのタッグ。同作はもともと藤井監督ありきの企画ではなかったことを考えると、『ヤクザと家族 The Family』は、より濃密に両者の個性が絡み合った“進化系”と呼べるのではないか。そして、彼らの本作における大いなる挑戦は、これまでも述べてきたように、「ヤクザ」をコンテンツではなく人間として見つめ直す部分にあるように思う。脚本監修にかつて任侠組織に属していた作家・沖田臥竜氏を招へいしたエピソードからも、本気度がうかがえる。
本作は、前半ではやくざ映画を現代的な目でアップデートさせ、後半では積み上げてきた「幻想」を粉々に破壊し、残骸の中で私たちに鋭く問う。これが、この国に生きる彼らの“本当の姿”なのだと。そしてそれを知ってしまった瞬間、私たちの概念は書き換わり、もうヤクザという存在を自分の生活から隔絶したものとして見られなくなる。
例えば『パラサイト 半地下の家族』(19)は、寓話の中に社会の格差が込められていた。『万引き家族』(18)は、疑似家族かつ犯罪者の立場から家族のありようを見つめた物語。古今東西、歴史を変える映画というものは観る者に新たな価値観を付与してきたが、本作にもその資質と覚悟が、随所にみなぎっている。それはまるで、握りしめたこぶしから流れる鮮血のように、力強く己を主張するのだ。
『ヤクザと家族 The Family』(c)2021『ヤクザと家族 The Family』製作委員会
『ヤクザと家族 The Family』の第2章で、もやのようにうっすらと漂い始める、ヤクザたちが凋落する予兆。それは、14年後を描く第3章で、空気のように当たり前のものと化している。山本が直面するのは、「ヤクザを消去する世界」だ。そしてこの要素は、現実社会だけでなく、私たち自身に根付いている“感覚”ともオーバーラップする。
映画に限らず、テレビドラマや小説、漫画やアニメ……。あらゆるメディアの中で、私たちはヤクザを一種のファンタジーとして扱ってきた。アウトローの生きざまへの憧れを投影したものもあれば、それが派生して「世直し番長」的に描いたものなどもあろう。ただ、ヤクザをモチーフにした作品の中でどれだけが、彼らの“生活”に目を向けているのだろうか。ヤクザを作劇における“装置”として扱う世界は、私たちが生きる「いま」そのものだ。
つまり『ヤクザと家族 The Family』は、リアリティを追求した作品でありつつ、現代のあらゆる「やくざモノ」に対し、敬意を払いつつも一種のカウンターを仕掛けた作品でもある。ここで興味深いのは、狼煙をあげた本作が“孤軍”ではないということだ。興味深いことに、本作と近しい目線を持った作品が、近年生まれ始めている。
ここでは、ふたつの例を挙げてみよう。それは、西川美和監督の新作『すばらしき世界』(2021年2月11日公開)と、意外に思われるかもしれないが、人気漫画『僕のヒーローアカデミア』だ。