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『ゲッタウェイ』サム・ペキンパーが手がける、壊れかけた夫婦のラブストーリー
『ゲッタウェイ』は夫婦の復縁を描いたラブストーリー
思えば、大事な局面で、車のドアを開け相手を招き入れるのは、いつもキャロルだった。出所したドクを迎えに来たとき。新しい車を買いベンチで待つ彼に声をかけたとき。ときには車に乗り込もうとする夫を無様に転ばせたこともある。最後、希望の地へ向かうおんぼろトラックのドアを開けるのは誰だったか。いつだって彼女が彼を隣に招き入れるのだ。キャロルは夫につき従う女ではない。自分の意思で、この逃避行を続けてきた。だから結婚生活を続けるかどうかの選択も、彼女によって決定される。
彼女は、ベニヨンとの過去をぐちぐちと言い募る夫に対し、私があいつと寝たのは何のためか知っているはずだと言い返す。私にはベニヨンの側につくという選択肢もあった。けれど迷わずあなたを選んだ。あなたは私に選ばれたことを誇りに思うべきで、ごちゃごちゃ責め立てるなんてもってのほかだ。こうしてドクは、自分の本当の立場を悟る。彼女を許す権利などどこにもない。彼女に許しを請い、夫として認めてもらうことこそ、彼のなすべきことだ。
『ゲッタウェイ』©2007 Warner Entertainment Inc. All rights reserved.
たしかに『ゲッタウェイ』には「男の映画」の香りがぷんぷんする。多量の血と銃撃音で満ちたラストシーンはファン必見のかっこよさだし、ドクを追うルディの異様な執念は男と男の狂った絆を思わせる。またドク・マッコイの人物造形も、悪しきマチズモから抜けきれない。彼はキャロルを平然と殴りつけ、罵声を浴びせかける男だ。だが一方で、自分の性的能力についての不安を打ち明け、妻に助けを求める率直さが彼にはある。何より、キャロルという女の誇り高さはどうだ。これほど自分の正しさを堂々と申し立てる女を、そして彼女の真っ当さに素直に頷く男を、ペキンパーが映し出してみせたことに、改めて驚かされる。
ニューランドが、マックイーンの体現するマチズモを憎みながら彼に欲望するように、現代を生きる私たちは、常に矛盾を抱え、怒りと愛の亀裂とともに映画と向かい合いつづける。ペキンパー映画の女たちは、どれほど魅力的であろうが男を超える存在にはなれないし、ペキンパーが「女の映画」を撮ったとも言いきれない。それでも、『ゲッタウェイ』で描かれる女性像、そして彼女とともに生きる男の姿は実に複雑で、単純な構図ではとうてい捉えきれない。それを知れば、「男の映画」という馬鹿げた言葉で彼の映画を呼ぶなど不可能だ。
『ゲッタウェイ』は、マッチョな男とそのセクシーな妻の逃避行ではない。むしろこう呼ぶべきだ。壊れかけた夫婦の復縁を描いたラブストーリー。あるいは女によって選ばれた男がその光栄を受け入れるまでの、男の成長物語。
文:月永理絵
映画ライター、編集者。雑誌『映画横丁』編集人。『朝日新聞』『メトロポリターナ』『週刊文春』『i-D JAPAN』等で映画評やコラム、取材記事を執筆。〈映画酒場編集室〉名義で書籍、映画パンフレットの編集も手がける。WEB番組「活弁シネマ倶楽部」でMCを担当中。eigasakaba.net
『ゲッタウェイ』
日本語吹替音声追加収録版 ブルーレイ ¥6,369 (税込)
発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
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