二・二八事件を描いた初の台湾映画
『悲情城市』について誰もが口にするのは、これが台湾の歴史上もっとも重要な作品だということ。国際映画祭での初のグランプリ受賞をもたらした作品だから、というだけではない。1947年2月28日、台湾で起きた国民党による大虐殺事件、通称「二・二八事件」を初めて描いた映画からだ。
映画の主人公となる林一家は、第二次世界大戦以前に大陸から台湾へ渡来し居住していた「本省人」たち。戦争が終わり日本軍が撤退したことで、台湾ではみな、ようやく自分たちの手による新しい台湾が始まるのだと希望に湧いていた。けれど彼らの希望はすぐに覆される。新たに大陸からやってきた「外省人」から成る国民党政府が、次の支配者となったからだ。解放の夢が潰え、人々の不満は徐々に高まっていく。そして1947年2月28日、台北での闇タバコの摘発をきっかけに、国民政府への不満が爆発。政府は軍隊を出動させ暴力によって市民を鎮圧する。
事件は、台湾では長らくタブーとされた。多くの死傷者を出し、「外省人」と「本省人」との間に大きな亀裂をもたらした悲劇は、口にすることすら避けられた。実際、1947年末に親に連れられ台湾へ移住した外省人のホウ・シャオシェンは、二・二八事件の詳細をほとんど何も知らなかったという。一方、彼の作品の脚本を手がけてきた呉念眞(ウー・ニェンチェン)は本省人。すでに『恋恋風塵』(87)の脚本でも、幼少期の思い出をもとに本省人の世界を描いていた呉念眞は、周囲の大人たちから大虐殺について聞かされて育った。
『悲情城市』(C)ぴあ株式会社
戦後台湾の物語に惹かれたホウ・シャオシェンは、朱天文、そして事件を詳しく知る呉念眞と三人で『悲情城市』の脚本を書き始めた。ただし当初はこの事件を正面から扱う予定ではなかった。1950年代の基隆で酒場を営む女主人が二・二八事件当時をふりかえる、そんな映画になるはずだった。女主人役は、当時台湾で人気絶頂だったヤン・リーファ。まだ駆け出しだったチョウ・ユンファも出演候補にあげられていた。
だが1987年7月、台湾に大きな転換が訪れる。二・二八事件以降に敷かれていた戒厳令がついに解除されたのだ。これを機に様々な規制が緩み、事件の詳細が明らかになっていく。それなら過去を振り返るという間接的な方法ではなく、直接あの時代を描けばいい。十分な資料も手に入り、ホウ・シャオシェンら三人は脚本を1945〜49年当時の林一家の物語へと書き換えていく。
戒厳令が解除されたあと、台湾ではさらに大きな政治的変化が起きる。1988年1月、父・蒋介石を継ぎ民主化運動を推し進めた蒋経国が亡くなり、台湾は利権をめぐって政治家たちが争いあう権力闘争の時代に入る。物語の舞台となった1947年の社会と、映画がつくられた1988〜89年の社会の雰囲気が偶然にも重なったことを、監督は『悲情城市』日本版DVDに収められた特典インタビューで指摘している。結果的に、映画はふたつの時代の記録となった。