1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ハリーとトント
  4. 老人と猫のロードムービー『ハリーとトント』が軽やかに引用するシェイクスピア「リア王」のエッセンス
老人と猫のロードムービー『ハリーとトント』が軽やかに引用するシェイクスピア「リア王」のエッセンス

(c)Photofest / Getty Images

老人と猫のロードムービー『ハリーとトント』が軽やかに引用するシェイクスピア「リア王」のエッセンス

PAGES


ハリーは現代における中産階級の「リア王」



 住む場所を求めて、ハリーとトントは旅を続ける。目指すのは離れて暮らす子供たちの元。今や誰もがすっかり中年となり、個々の悩みや問題を抱えながら生きている。それゆえ父の訪問を温かく迎えはするものの、実生活は自分のことで精一杯。最終的にハリーは「ここではないな」と自らその場を辞し、新たな訪問先を目指して転々としていくーーー。


 このストーリーラインに触れて、多くの人がうっすら思い起こすのがシェイクスピアの「リア王」ではないだろうか。もちろん原作戯曲のような不条理で無慈悲な味わいとは無縁なものの、その骨格が非常にユニークな形で活かされているのが面白いポイントだ。そこには共同脚本を担ったマザースキーの「ハリーこそ、現代におけるリア王である」という想いがあるという。


 古典が持つ神話性のエッセンスを現代へと適用させるとき、そこには「大衆」という存在が大きくそびえ立つ。大衆における中産階級の一人としての「王」は、子供達の暮らす城をひとつひとつ巡りながら、一体何を思うのか。こういった視点をもとに本作は生粋のシェイクスピア色からはふわりと離れ、むしろ70年代初期アメリカ社会を生々しく活写、反映させた物語として明確な像を結んでいく。


 また、そこで欠かせないのがやはり猫の「トント」の存在だ。この大切な相棒が一歩離れた場所からじっと投げかける眼差しは、どこか普遍的な目線にもなって、我々の心を深淵へといざなってやまないのである。





PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ハリーとトント
  4. 老人と猫のロードムービー『ハリーとトント』が軽やかに引用するシェイクスピア「リア王」のエッセンス