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『ビーチ・バム まじめに不真面目』父親から受け継いだハーモニー・コリン・メソッド

(c)2019 BEACH BUM FILM HOLDINGS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

『ビーチ・バム まじめに不真面目』父親から受け継いだハーモニー・コリン・メソッド

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バスター・キートンと俳優の解放



 「バスター・キートンが私の人生を変えたのです。何か純粋なものがあることに気づいたのです。今まで見たこともないような純粋で悲劇的な美しさがあることに気づきました。」*


 父親に連れていかれた二本立ての映画館(ダグラス・サークやライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの映画を親子で見たという)で育ったと語るハーモニー・コリンにとって、バスター・キートンの作品との出会いは現在も非常に大きなウェイトを占めている。『ミスター・ロンリー』に登場する物真似芸人の中にチャールズ・チャップリンはいるのに、バスター・キートンがいないのはなぜ?とインタビュアーに尋ねられたハーモニー・コリンは、「バスター・キートンは僕には演出できない。悲しすぎるから」と答えている。


 ハーモニー・コリンにとって、それほどまでに感傷的な大きな影をいまなお与え続ける、”笑わない喜劇役者”バスター・キートン。あり得ないレベルのアクションを次々とこなしたバスター・キートンの、偉大な無表情と映画制作への熱意に、ハーモニー・コリンは深い悲しみを感じとると共に、俳優の解放を見出す。その方法論の極北たる作品が、登場人物全員が覆面を被った『トラッシュ・ハンパーズ』(09)であり、物真似仮装芸人の集まった『ミスター・ロンリー』であろう。


『ミスター・ロンリー』予告


 『ミスター・ロンリー』でハーモニー・コリンは俳優に仮装をさせることで、俳優自身が規定する本来のイメージから離れていくことを試みている。この試みによって逆説的に「俳優の作り出すイメージを信じてみようと思った」と語っている。『ミスター・ロンリー』以降のハーモニー・コリンは、より俳優の魅力にカメラが引き寄せられていくような撮り方をしている。目の前のイメージを自身のイメージによって手を加えない方法。イメージを汚さない方法。と同時に、このことはハーモニー・コリンの全作品に継承されてきた、映画を介して俳優と共に生きていくことの大きな主題、問いになっている。ハーモニー・コリンの映画において、俳優は自分自身でありながら自分を見失っていく領域に置かれるのだ。


 『ビーチ・バム』のマシュー・マコノヒーは、ウィッグや女装に留まらず、ムーンドッグというキャラクター自体がファンタジーの域にあるような道化の存在だが、ムーンドッグはバスター・キートンと違い、大いに笑う。マリファナでハイになりながら、豪快に笑いとばす。すべてを手にしていながら何も手にする気がないようなムーンドッグの、常に全裸で歩いているようなメンタルのあり方は、豪快な笑いによって自分自身の身体という束縛から解放される。



『ビーチ・バム まじめに不真面目』(c)2019 BEACH BUM FILM HOLDINGS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.


 ムーンドッグの多幸感は人から人に伝染していく。これまでハーモニー・コリンの作品では唯物的に、ただ空に響いていた音が、ここでは人から人への共鳴を引き起こす。ムーンドッグの甲高い笑いに、笑いによる返答で共鳴できるのは、愛する妻であり、娘、ランジェリー(スヌープ・ドッグ)を始めとする愉快な仲間たちだ。




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