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『ビーチ・バム まじめに不真面目』父親から受け継いだハーモニー・コリン・メソッド
2021.04.28
父ソル・コリンから受け継ぐハーモニー・コリン・メソッド
『ガンモ』で竜巻によって崩壊した町を描いたように、ハーモニー・コリンは失われたアメリカの風景を描く。では、『ビーチ・バム』のインタビューで、ロケーション=キーウェスト自体がキャラクターになるようなものを作りたかったと語るハーモニー・コリンのメソッドとは何か?
『ガンモ』の撮影の際、カメラマンのジャン=イヴ・エスコフィエと共にテネシー州の町に出向いたハーモニー・コリンは(『ガンモ』の舞台設定はオハイオ州)、その地域で一緒に育った子供たちと共に暮らし(撮影が行われたテネシー、ナッシュビルはハーモニー・コリンの育った地域であり、同じ学校に通った友人も映画に出演している)、彼らの生活そのものを撮影するよう心掛けたのだという。
『ガンモ』予告
ハーモニー・コリンは、反対側にカメラを回しても、常に何かが起こっているようなロケーション=状況を、まず探究する。ハーモニー・コリンの言葉でいうところの、「カオス」に対して「フェア」な「(カメラの)流動性」を得るために。このことは、ハーモニー・コリンがまだ小さい頃、素晴らしいドキュメンタリー映画作家(ハーモニー・コリン曰く「民俗学映像作家」)である父ソル・コリンの近くにいつもいたことと、大きく関わっているだろう。子供を撮影現場に連れて現地で生活をしなければならないほど、特定の地域に執着したソル・コリンの作品は、まさに「カオス」に対して「フェア」な「流動性」を持った作品だ。ハーモニー・コリンは子供時代をこう振り返る。
「父はドキュメンタリー映画の制作者でした。父が仕事をしているところについて行っていたので、私は学校にはあまり行っていませんでした。父はサーカスのピエロや牛に乗る子供たちにとても興味を持っていました。父には家族がついて行かなければならないほどの執着があった。父が私とコミュニケーションをとる方法のひとつが映画でした。」*
父ソル・コリンが1981年に撮った『Mouth Music』というアメリカ南部地域に密着したカントリー/ブルーグラスの音楽ドキュメンタリーは、南部の労働者たる住民たちが、口を楽器のようにして奏でるカントリー・ヨーデルの音楽自体が、インタビュー等の言葉にまったく頼らない映画の「語り」を獲得していく、極めて美しい作品だ。
『ビーチ・バム まじめに不真面目』(c)2019 BEACH BUM FILM HOLDINGS LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
ソル・コリンは老人から子供にいたるまで、地域に鳴り響く音楽を一つ一つ拾い上げていくことで、顕微鏡でクローズアップするかのごとく、アメリカの南部そのものを描出していく。また、この作品は、『ガンモ』のバニ-ボーイがニワトリの鳴きまねをしながら登場したことを想起させる点で、あのニワトリの鳴きまねのようなヨーデルが、映画作家ハーモニー・コリンの出自を高らかに告げていたことを教えてくれる。ハーモニー・コリンの映画にとって音楽とは、それが地域の伝承音楽であろうが、ブリトニー・スピアーズの大ヒット曲であろうが、ロケーションに対するリスペクト、人間からの共鳴の響きに他ならない。
『ビーチ・バム』のムーンドッグの甲高い笑い声は、まるで挨拶代わりのようにキーウェストという土地、または失われたアメリカの空に響くだろう。父親とのエピソードでいえば、『ジュリアン』(99)を撮った後、長らく傷ついたまま映画界から身を引いていたハーモニー・コリンの、本人曰く「第二のデビュー作」である『ミスター・ロンリー』において、ソル・コリンがアシスタント・ディレクターとして復帰の手助けをしたことは感慨深いエピソードだ。