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『ファーザー』アンソニー・ホプキンスを2度目のオスカーに導いた、英仏の非凡な劇作家たち
平たんではなかった映画化への道のり
そのテレビ番組で、監督はホプキンスのことを「現役男優の最高峰」と呼んでいて、彼を想定しながら最初から製作を進めていったという。「この作品の主人公とホプキンス自身が重なるような気がした。すごく知的で、いつも抑制が効いている。しかし、やがて自分をコントロールできなくなると、ものすごく取り乱し、心に痛みを抱えていく」
主人公のアンソニーは少しずつ記憶を失うことで、人生における大切なものも失っていかざるを得ない。それは人間が老いることの悲しみでもあり、周囲の家族も、その老いに立ちあうことで、心に痛みを抱えてしまう。正常な記憶が保てない親にいら立つこともあれば、深い慈愛を感じることもある。娘のアンが抱く複雑な感情も、また、人生のミステリーだろう。
そして、老いて記憶を失い、死に近づくことで、最後にどんな光景を見ることになるのだろう? アンソニーの記憶のジグソーパズルを見守ることで、人生が終盤にさしかかった人間に残されたものが伝わってくる。
『ファーザー』© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020
原作戯曲を手がけ、今回の映画で監督デビューを飾ったフランス人のゼレール。その演出も高い評価を得ているが、実はこの映画の真の功労者はゼレールと共にシナリオを書いた英国の劇作家クリストファー・ハンプトンではないだろうか。彼がゼレールに注目したからこそ、映画化への道も開かれていった。
ハンプトンによれば、『ファーザー』は恵まれた条件で映画化が進んだ企画ではなかったようだ。オーストラリアのサイト、ニュース・コム・AU(21年4月5日)に彼のインタビューが掲載されているが、製作のはじまりをこう振り返っている―「すごくささやかな映画だし、予算もかけられなかった。たしかに有名俳優は出演しているが、題材のせいでみんな製作に難色を示していた」
舞台作品も最終的には英国やアメリカの演劇界で高い評価を受けたが、すぐに派手な脚光を浴びた作品ではなかったようだ。英国での初演はロンドンではなく、バースにある劇場だったそうだ。「英国で最初に舞台を上演した時、100席くらいの小さな場所で始めた。クオリティはすごく高いと思っていたが、“客が大勢やってきて、入場料を払うような作品じゃない”と言われたものだ。その後、ロンドンで舞台を上演する時も、一苦労だった。こんな重い話ではウェストエンド(ロンドンの舞台の中心地)では上演できないという反応が戻ってきた。映画化に関しては最終的にはアングロ・サクソン系の人々(英国人)ではなく、大陸の向こう側のフランス人に助けられた」とハンプトンは回想する。
映画は英国とフランスの合作として製作されることになった。