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『ファーザー』アンソニー・ホプキンスを2度目のオスカーに導いた、英仏の非凡な劇作家たち
主人公の“旅(ジャーニー)”を彩る音楽
『ファーザー』は音楽の使い方も印象に残る作品になっている。いかにも、これみよがしな音ではないが、ホプキンス演じる主人公の心情が伝わるような選曲がされている。
全体の音楽を担当しているのは、イタリア出身でミニマル・ミュージックの作曲家・ピアニストとして才能を評価されているルドヴィコ・エイナウディである。これまで『最強のふたり』(11)、『インシディアス』(10)などの音楽も担当していて、最近ではオスカー受賞作の『ノマドランド』(20)でも彼の曲が使われている。
『ノマドランド』予告
『ファーザー』では彼がすでに発表していた「冷たい風(コールド・ウィンド)」や「低い霧(ロウ・ミスト)」といった曲のバリエーション(変奏曲)が使われる。ピアノや弦が印象的なナンバーで、主人公アンソニーの心理的な動揺や葛藤などが音で代弁される。
脚本家のハンプトンは、かつて自身の監督デビュー作『キャリントン』でイギリスのミニマル・ミュージック界の才人、マイケル・ナイマンの曲を使っていた。人間同士の知的なやりとりや内面の葛藤を作品の中心にすえることが多い作家だが、その世界を音で感じさせるにはこうした現代音楽が合うのかもしれない。
劇中ではエイナウディ以外のクラシック・ナンバーもうまく使われている。冒頭に流れるのはバロック期を代表する17世紀の作曲家、ヘンリー・パーセルのオペラ「アーサー王、またはブリテンの守護神」の挿入歌“What Power Art Thou?”。「コールド・ソング」のタイトルで親しまれ、スティングや故クラウス・ノミなども歌っている。前述のマイケル・ナイマンはこの旋律をアレンジして、ピーター・グリーナウェイ監督の傑作『コックと泥棒、その妻と愛人』(89)のテーマ曲としても使っていた。
映画では主人公アンソニーがヘッドフォンで聴いている曲(=頭の中を流れる曲)として登場する。主人公の頭の中で起きている物語が描かれていく、という構成が、こうした音楽の使い方からも分かる。この曲では寒さに凍える神が愛のキューピットの力で寒さから解放されることを望む、という情景が歌われる。
アンソニーがキッチンで流し、思わず口ずさんだり、体をゆすったりするのが、ベッリーニのオペラ「ノルマ」の中の有名曲「カスタ・ディーヴァ」。マリア・カラスのバージョンが流れる。また、中盤でアンソニーがヘッドフォンで聴いているのが、ビゼーのオペラ「真珠採り」の有名曲「耳に残るは君の歌声」。「ノルマ」も「真珠採り」も悲劇的な恋を描いているので、アンソニーの置かれた悲しい状況を暗示しているのかもしれない。「真珠採り」の方は特に劇中で忘れがたい印象を残す。娘のアンと病院に行ったアンソニーが車の窓から外を眺める場面で流れるが、その時のホプキンスの虚ろな顔がなんとも切ない……。
『ファーザー』© NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINÉ-@ ORANGE STUDIO 2020
アンソニーがオペラ・ファンであったことが(セリフではなく)音を通じて理解できる。彼の部屋にはピアノも置かれ、軽く鍵盤をさわる場面もある(実はホプキンス自身はピアノの実力もなかなかで、インスタグラムにも自身の美しい演奏をアップしている)。主人公が音楽を愛し、自分なりの豊かな世界をかつては築いていたことが、こうしたディテールを通じて伝わる。そんな彼の記憶が失われていくからこそ、悲哀感も高まる。
劇中ではパーセルの「コールド・ソング」からエイナウディの「コールド・ウィンド」まで、“コールド”なイメージの曲が使われることで、現在の主人公の心の情景も見える。そして、後半、重要な意味も持つのがエイナウディの内省的な曲「マイ・ジャーニー」。映画の中でアンソニーは、始終、腕時計を気にしているが、その理由がこの曲が流れる後半に判明する。
アンソニーの旅の果てにあるもの。その心の軌跡を考えることで、この作品が伝えたかったテーマも浮かび上がってくる。
文:大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「週刊女性」、「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。
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『ファーザー』
5月14日(金)TOHOシネマズ シャンテ他 全国ロードショー
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