Seven© 1995 New Line Productions, Inc. All rights reserved. © 2010 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.
デヴィッド・フィンチャー『セブン』伝説のタイトルバックには別案があった!?
映画監督「デヴィッド・フィンチャー」のターニングポイント
タイトルバックもさることながら、映画全体を支配する陰影の強いビジュアルとその世界観、そして絶望的なストーリーで『セブン』はサイコサスペンスの新たなジャンルを切り開いた。興行的にも4週連続全米No1を獲得し、『羊たちの沈黙』と並び同ジャンルの頂点を極めることとなる。また、それは同時に、若き監督デヴィッド・フィンチャーの名を世間に轟かせたことは言うまでもない。
当時のフィンチャーは弱冠33歳。『セブン』は『エイリアン3』に続く監督第二作目である。その作風や監督デビューの早さから、映画エリートのイメージが強いフィンチャーだが、全てが順風満帆というわけではなかった。
高校卒業後の10代のうちにILMに入社、映画の現場で働き始めたフィンチャーは、その後24歳で独立し、制作プロダクション・プロパガンダフィルムを設立。そこでミュージックビデオやCMを数多く制作、マドンナやエアロスミス、ローリングストーンズなど超一流アーティストの作品を手がけ一躍MTV界の寵児となる。
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そんな飛ぶ鳥落とす勢いの27歳のフィンチャーに声がかかったのが、『エイリアン3』の監督のイスだった。当時の金額で5,000万ドルという製作費は、もちろん超巨大プロジェクト。初監督作品の製作費としては当時史上最高額だ。
しかし、リドリー・スコット、ジェームズ・キャメロンと錚々たる監督が手がけてきた超人気シリーズの続編である『エイリアン3』は、一筋縄ではいかなかった。。相次ぐ脚本の直しやシガニー・ウィーバーとのトラブルなど、様々な困難がフィンチャーを襲うのである。27歳という年齢も災いした。周りのスタッフがほとんど年上という状況となってしまい、自分のビジョンを明確に指示することができなかった。要するに周りのベテランに自分の言うことをあまり聞いてもらえなかったのである。
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結果、『エイリアン3』は興行的にも不発に終わりファンからも酷評されることとなってしまう。監督という立場上、世間からも叩かれてしまったフィンチャーは、「新たに映画を撮るくらいなら大腸ガンで死んだほうがマシだ!」と言い放ち、映画製作から遠ざかることとなる。
その後33歳でなんとか映画監督として復帰したフィンチャーだが、この『セブン』の撮影で良かったこととして、同年代と仕事が出来たことを挙げている。ようやく自分のビジョンを徹底的にフィルムに刻むことができるようになったのだ。それはもう『セブン』を見れば一目瞭然だろう。これぞデヴィッド・フィンチャー!な画で埋めつくされているのだから。
そう考えると、ある意味では『セブン』が映画監督デヴィッド・フィンチャーとしてのターニングポイントだったのかもしれない。
しかし、そんな作家性の塊のようなフィンチャーだが、自分のビジョンを全て具現化できていそうな今でさえもこう言っている「映画製作は妥協の連続だ」と。。
参考資料:『セブン』ブルーレイ音声解説、未公開映像集より
文:香田史生
CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。
『セブン』
ブルーレイ¥2,381+税/ DVD ¥1,429 +税
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