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『暗殺の森』人間の真実を浮き彫りにする過剰な様式美 ※注!ネタバレ含みます。

(c)Photofest / Getty Image

『暗殺の森』人間の真実を浮き彫りにする過剰な様式美 ※注!ネタバレ含みます。

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意識(光)と無意識(影)を巡る精神的な旅



 カラヴァッジオの絵画のごとく、『暗殺の森』は強烈な光と影に彩られている。なぜならこの作品は、主人公マルチェロの意識(光)と無意識(影)を巡る精神的な旅の物語だからだ。


 少年時代にマルチェロは運転手のリーノから性的な誘いを受け、自分が同性愛者であることを自覚する。しかもリーノを殺害してしまうことで(本当は未遂だったのだが)、その事実は彼の心奥深くに封印される。“影”は抑圧された潜在意識の象徴だ。彼は自分を異常な人間であると信じ込み、それゆえに誰よりも正常であることに固執する。懺悔室での告解の場面は印象的だ。


 「正常…なんとか私の正常さを作り上げたい。(中略)罪は悔いた。許しは社会から受けたい」


 普通の妻を娶り、普通の暮らしをすること。それがマルチェロの望みだ。第二次世界大戦前夜のイタリアは、ムッソリーニに率いられたファシスト党の時代。つまりこの国、この時代で正常であることとは、ファシズムに身を委ねることだったのである。原題の『Il conformista』とは順応主義者のことだが、イデオロギーに関係なくマスに順応しようとすることで、彼は“普通”な自分を演じようとする。


 意識と無意識の間で揺れ動く主人公を、ストラーロはどのようにカメラで捉えたのか。例えば、マルチェロがジュリア(ステファニア・サンドレッリ)の自宅を訪れる場面。ブラインドからこぼれる日差しが、くっきりと白と黒のストライプをかたちづくっている。ジュリアと結婚することで普通の日常を得ようとするも、それは同性愛者としての自分を偽る行為だ。まさに、意識(光)と無意識(影)の交錯。ジュリアが身につけている衣装の柄が、モノトーンのストライプであることも心憎い計算だ。





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