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『暗殺の森』人間の真実を浮き彫りにする過剰な様式美 ※注!ネタバレ含みます。

(c)Photofest / Getty Image

『暗殺の森』人間の真実を浮き彫りにする過剰な様式美 ※注!ネタバレ含みます。

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政治的なメタファーとしてのファシズム



 意識と無意識を表す光と影は、政治的なメタファーとしての反ファシズム(光)とファシズム(影)としても機能する。


 例えば、大学時代の恩師であり、反ファシズム運動のリーダーでもあるクアドリ教授(エンツォ・タラシオ)と初めて出会う場面。「憶えていますか?先生は教室に入られると窓を閉めていました」とマルチェロが話しながら窓を下ろすと、室内は闇に包まれる。もう片方の窓から差し込む光に照らされたクアドリの姿はシルエットで確認できるが、闇に溶け込んだマルチェロの姿はもはや判別できない。明白なくらいに、クアドリ=反ファシズム(光)、マルチェロ=ファシズム(影)というイデオロギーが映像的に補完されている。


 そして、中華料理屋の厨房でマルチェロと護衛のマンガニエーロ(ガストーネ・モスキン)が語り合う場面。クアドリとアンナ(ドミニク・サンダ)の殺害をためらうマルチェロに対し、マンガニエーロは「これは戦争だ。挫ける奴は脱走兵だ」となじる。このとき、天井から吊り下げられたシェードが左右に揺れながら、二人を照らしている。ファシズム(闇)と反ファシズム(光)の間で揺れ動く“優柔不断なファシスト”マルチェロを、ストラーロは残酷に暴き出すのだ。



『暗殺の森』(c)Photofest / Getty Image


 物語が主題を語るのではなく、映像が主題を語る。映画作家であれば誰しもが夢想するであろうこの理想を、『暗殺の森』はものの見事に昇華させている。ベルトルッチのコメントを引用してみよう。


 「映画というものは、演劇よりも文学や詩にずっと近いものです。単なる物語の挿絵に過ぎない映画が多いというのは、私も同感です。小説を元に映画を作るときに直面する最大の問題がそれです。モラヴィアの物語をもとにした『暗殺の森』を作ったときも、それが問題でした。なぜなら、多くの映画製作者は、小説から始めたかのように脚本を使用し、単に脚本をイラスト化して映画にしているからです」(ベルナルド・ベルトルッチへのインタビューより引用





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