プラトンの“洞穴の囚人”
前述したマルチェロとクアドリが初めて出会う場面で、マルチェロは唐突に大学の卒業論文だったという「洞穴の囚人」の話をする。実はコレ、『暗殺の森』のテーマに思いっきり重なる、めちゃめちゃ重要なシーン。
「大きな地下洞を想像しなさい。中には子供の頃から住んでいる人々がいる。鎖で繋がれ、洞穴の奥しか見られない。彼らの背後には明るい炎が燃えている。彼らと炎の間には壁がある。人形劇の板仕切りのような壁だ。仕切り壁の外には別の人々がいて、木と石でできた像を持っている。像は仕切り壁より背が高い」
「プラトンの“洞穴の囚人”かね」
「我々にそっくりです」
映画のセリフだけだと何の事やらさっぱり分からないので、少し補足しよう。頭を一つの方向に固定された囚人がいたとする。背後には炎があり、別の人間が木と石でできた像を持っている。すると囚人は、壁に映る「像」の影が実在の人間だと思い込む。ひとたびそのように認識してしまうと、囚人が解放されたとしても、本当の人間よりも「像」を真実だと思い込んでしまう。
プラトンが著作『国家』の第7巻で述べている、有名な例え話である。影を真実だと思い込んでいる洞穴の囚人は、ファシズムを盲信するマルチェロそのものだ。ラストシーンを思い出して欲しい。時代は、ムッソリーニが失脚してファシズムが終焉を迎えた終戦直後。傍で炎が燃え上がるなか、マルチェロは格子の向こう側に背を向けている。蓄音機から流れてくる曲は「Come l'ombr」、つまり「影のように」。やがて彼はゆっくりとカメラに目を向ける。真実を見定めようとするがごとく。
『暗殺の森』が素晴らしいのは、「洞穴の囚人」をそのまま映像に移し替えたことではない。その意味性を超えて、映像そのものの力が観客を捉えて離さないことにある。ベルナルド・ベルトルッチ&ヴィットリオ・ストラーロは、過剰な様式美のなかに人間の真実を浮かび上がらせるのだ。
最後に、この映画そのものを言い表しているであろうセリフを紹介してこの稿の結びとしよう。アンナとジュリアが女性同士でタンゴを踊るシーン。妖艶で官能的な二人の踊りはこの作品のハイライトの一つだが、同性愛的な振る舞いにマルチェロは思わず「やめさせましょう」と言い放つ。それに対して、クアドリはこう答えるのだ。
「どうして?美しいじゃないか」
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
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