© 1994, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.
『恋する惑星』恋愛映画の傑作が切り取る、90年代前半の香港に流れた空気
第1部、〈期限〉と〈資本主義〉の物語
『恋する惑星』の物語は、繁華街に建つ巨大ビル・重慶大厦(チョンキン・マンション)を舞台とする第1部と、その付近にある惣菜屋「ミッドナイト・エクスプレス」を中心に展開する第2部からなる。注目すべきは、第1部と第2部が、ともに“香港返還”というキーワードを示唆していることだ。
1997年7月1日、香港の主権がイギリスから中国へと返還された。『恋する惑星』の撮影は、その約3年前にあたる1994年春に行われている。さらに遡ること31年前、1963年にカーウァイは5歳で上海から香港へ移住した。1842年から155年間続いてきた香港の政治・経済体制が終わりを迎えることは、カーウァイにとっても大きな出来事だっただろう。
映画の第1部で描かれるのは、〈期限〉と〈資本主義〉の物語だ。1994年4月1日に恋人のメイから別れを告げられた刑事・モウ(金城武)は、その日からパイン缶を毎日買うようになった。「毎日、5月1日期限のパイン缶を買った。パイナップルはメイの好物で、5月1日は僕の誕生日。30缶買ってもメイが戻らなければ、この恋は終わりだ」とモウは語る。しかし、メイは戻らない。
『恋する惑星』© 1994, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.
恋人との別れを確信したモウは、バーを訪れると、「今度入ってきた女を好きになろう」と決め、そして金髪の女性ドラッグ・ディーラー(ブリジット・リン)と出会う。女も好意を寄せていた男に逃げられ、薬物取引では仲間のインド人たちに裏切られ、命をも狙われて疲れ切っていた。女はモウをあしらいながらも酔いつぶれ、モウは女を介抱してホテルに入る。眠った女を横目に、モウは静かな夜を過ごし、早朝にホテルを去る。その後、モウの留守電には女から誕生日を祝う言葉が残っていた。
「ある女が、僕に誕生日おめでとうと言ってくれた。忘れられない人になった。この記憶の缶詰に期限がないといい。あっても一万年ならいいけど」。物語の冒頭からモウは〈期限〉に追われ、最後まで〈期限〉について考え続ける。かたや、女は自分から去った男を銃殺すると、金髪のウィッグを捨て、雑踏の中に消えていった。
この〈期限〉が香港返還までのタイムリミットを思わせるのは、モウの恋愛には、香港の資本主義社会がそのまま表れているからだ。モウは大量生産された缶詰をコンビニで買い、たらふく酒を飲み、ホテルに入ればサラダを4皿食べ、映画を2本観る。そう長くないエピソードの中で、モウはひたすら消費を繰り返すのだ。その一方、モウはパイン缶を食べながら「メイにとって僕と缶詰は大差ない」と悟る。大量生産・大量消費社会において、自分が入れ替え可能な存在にすぎなかったと知る悲しさだ。
香港はイギリス主権のもと、中国大陸とは異なる資本主義体制を維持してきた。香港返還を受け、中国は一国二制度を採用し、最低50年間は資本主義を貫く「五十年不変」を約束している。しかし返還を3年後に控え、香港の市民には、長らく親しんできた政治・経済への不安が少なからずあったはずだ。