© 1994, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.
『恋する惑星』恋愛映画の傑作が切り取る、90年代前半の香港に流れた空気
映画の奇跡、意味や構造を超えて
『恋する惑星』には、1997年の香港返還を示唆するキーワードが周到に埋め込まれた。それがまったくの偶然か、それとも意図通りなのかは定かでない。それはカーウァイ本人が、「観客たちがこの映画をポストモダン・シネマだとか、複雑難解で暗示的な作品だと考え、個々の場面の意味を解釈しようとしたり構造を分析しようとし始めた」のであって、「僕はそんな事を意図してこの映画を作ったんじゃありません」と述べているためだ。
しかし、作り手がいつも真実を語るとは限らない。また、作品が作り手の意図を超えていくこともそう珍しくはない。ならば思いを馳せるべきは、「偶然そうなったのだとしたら、なぜそんな映画が生まれたのか?」ということだろう。
もともと、カーウァイが「もっと身軽に自由な感覚で映画を作りたい」との思いから本作を作り始めたことは冒頭に触れた通りだ。撮影前には簡単なあらすじだけが用意され、撮影は順撮りで行われ、その内容も自在に変化していったという。たとえば、第1部の撮影は夜間に行われることが多かったため、カーウァイはその日に撮るシーンの脚本を昼間に執筆。スタッフが夕方になってから撮影の計画を練り、撮影許可も取らずにゲリラ撮影を繰り返したのだ。「身軽に自由な感覚で作りたい」どころではなかったのである。
『恋する惑星』© 1994, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.
興味深いのは、第1部のストーリーが完成版と撮影初期ではまるで異なったというエピソードだ。もともと、ブリジット・リンはキャリアの絶頂期を過ぎたスター女優役を、金城武は彼女を説得する刑事役を演じる予定だった。薬物取引をしていたインド人の集団が人質を取り、リン演じる女優に会わせるよう要求するが、人目を避けて生活する女優は警察への協力を断る。女優の説得役になった刑事が、やがて彼女に惹かれていくという物語だったのだ(最後には、犯人グループの要求は女優本人ではなく「アクトレス」という名前の船だったという落ちがつく)。この脚本に沿った撮影は10日間行われたが、本編にはまったく使われていないという。
事前の構想を踏み倒してでも、カーウァイが即興的な製作にこだわったことには確かな勝算があったはずだ。なにしろ『恋する惑星』という映画の最大の魅力は――本稿の内容と矛盾するようでもあるが――物語や構造からはみ出した部分にこそあるからである。たとえば先述したように、第1部と第2部が衝突する瞬間のほとんど奇跡的な美しさ。撮影のアンドリュー・ラウ(第1部)、クリストファー・ドイル(第2部)は、それぞれ異なる手つきで、観る者の目を醒ますようなショットを次々と見せてくれる。
映画の枠組みを逸脱する魅力は、四人の俳優たちにも現れた。広東語・北京語・日本語・英語を操る金城武の、どこか脱力した艶やかさ(電話の相手に日本語で話しはじめる瞬間のセクシーさときたら)。表情をくるくると変え、画面せましとキュートに躍動するフェイ・ウォン。サングラス越しでも瞳の強さを感じさせるブリジット・リンの存在感。時にはまっすぐにカメラを見つめ、時には一人つぶやくトニー・レオンの愁い。誰もがみずみずしく、また刹那的な輝きをスクリーンに残している。それは本作が特殊な製作方法のために、一種のドキュメンタリーとしての性質をまとったためだろう。
もっともカーウァイは、それでも自分のビジョンが実現されるまで何度もNGを出し、撮影を粘り続けていたという。当時はまだ新人に近かった金城武は、毎回異なる即興演技でこれに対応し、一方のフェイ・ウォンは“あくまでも本人らしくのびのびと”演じることで、フェイという役柄をそのまま体現した。カーウァイは「フェイは役柄をどう演じればいいかわかっていた」というが、その演技があまりに予測不能だったため、相手役のトニー・レオンは自分の培ってきた演技メソッドを早々に放棄し、目の前で起こることに身を任せていたという。カーウァイいわく「本作の後、トニーの演技はそれ以前とはまるで変わった」。