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『恐るべき子供たち』メルヴィル=コクトーによる鉱石の雪玉は、鈍い光を放ち続ける

©1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms 

『恐るべき子供たち』メルヴィル=コクトーによる鉱石の雪玉は、鈍い光を放ち続ける

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鏡台と死神



 ジャン=ピエール・メルヴィルは、姉弟が共有する散らかった寝室を、あらゆる工夫を凝らして豊かな空間として再設計している。この狭い空間に、これほどまでに撮影のバリエーションがあることは驚きでしかない。室内撮影の最良の見本市のようでさえある。


 夜行性を自称していたジャン=ピエール・メルヴィルは、本作の室内撮影のほとんどを夜~真夜中にかけて行ったという。このことは、短編『ある道化師の24時間』(46)が漆黒の夜の映画だったことを想起させる(監督本人はこの短編の出来について否定的な言説を残しているが、夜の黒味の深さを鮮烈に捉えた傑作である)。



『恐るべき子供たち』©1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms 


 病に伏すポールのベッドの周りを旋回するように、慌ただしい身振りを繰り出すエリザベット。『恐るべき子供たち』は、何よりニコール・ステファーヌの映画である。エリザベットは、慌ただしく部屋の隅から隅へと挑発的な身振り、支配の身振りを繰り出すだけの存在ではない。ポールを診療してもらうために部屋に医者を招き入れるシーンに、エリザベットの「闇の視線」がよく表されている。寝室の扉の外で待っているエリザベットの視線は、暗闇の中、何もない宙に向けられている。存在と切り離されたかのような、その夢遊病的な視線の先には、いったい何が視界に捉えられているのか。


 また、エリザベットとポールが同一のフレームに収まる際、鏡の中の彼女が過剰にぼやけているショットがある。夢遊病を抱えているのはむしろポールの方だが、エリザベットは、この姉弟による暗号のような言葉でいうところの、向こう側の世界への「出発」の前段階にあるのかもしれない。おそらくエリザベットは、向こう側の世界とこちら側の世界との「あわい」に生きている。そして『オルフェ』の中には、鏡についてこんな台詞がある。


 「鏡は死が出入りするドアです。それに、生涯を通じて鏡を見つめつづけてごらんなさい。死神が、ガラスの巣箱のなかで蜜蜂が働くのと同じように働いているのが見えてくるはずです。」 (『オルフェ』)


 エリザベットとポールが顔を寄せ合い、真っすぐに正面を見つめるショットは反復される。このショットが反復された際に、いつの間にか二人の顔が似てきていることに驚かされる。このショットは演劇的な身振りの「型」を超えて、二人が鏡像関係を結びつつあることの証左になっている。




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