©1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms
『恐るべき子供たち』メルヴィル=コクトーによる鉱石の雪玉は、鈍い光を放ち続ける
美に屈する
「コクトーに鼓動を録音する前にスタジオを走ってもらった。彼の心臓が非常に早く、強く打っている必要があったからだ」 (ジャン=ピエール・メルヴィル)*2
『恐るべき子供たち』のナレーションは、原作者であるジャン・コクトーが務めている。ジャン・コクトーによるナレーションが、まるで美しい歌のように作品全体に響いている。ポールが医者に聴診器を当てられるシーンでは、ジャン・コクトーの心臓の鼓動が使われているという。制作時は遊び心だったのかもしれないが、このアイディア自体が、なんともジャン・コクトー的だ。制作から70年後の現在、そして未来に渡って、私たちは本作を体験する度に、永遠に保管されたジャン・コクトーの鼓動を聞くことになる。
『恐るべき子供たち』©1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms
本作ではエリザベットがドアからドアに向けて頻繁に出入りするシーンが捉えられている。ドアの向こう(画面の奥)で、どちらが先に風呂に入るか大声で喧嘩をする姉弟のシーン。姉弟の騒ぎをシャットアウトするために、外にいるジェラールがドアを閉めると、ドアの隙間から水が漏れてくる。ジェラールは、話しかけてきた男性に苦笑いでごまかす。このシーンに代表される、映像で素描された美文調の中心にドアはある。
ダルジュロスにそっくりなアガット(ルネ・コジマの一人二役)を連れて、4人で大きな屋敷に移った後も、エリザベットはドアからドアへ部屋を出入りする(しかしポールの部屋は簡単な柵で仕切られた仮の空間だ)。しかし、屋敷内でのエリザベートの歩き方は、以前の彼女らしい快活とした歩き方ではない。体の力が抜かれたような、ゆっくりとした歩き方をしている。エリザベットが屋敷内を右へ左へ幽霊のように彷徨う姿を、カメラは俯瞰で捉える。
『オルフェ』において、鏡の国を彷徨っていたガラス売りの男性を、特に誰も気にしなかったように、エリザベットは屋敷内で、この世とあの世の「あわい」にいる。俯瞰で捉えたカメラだけが、ポールの部屋からアガットの部屋へ向かうエリザベートの歩き方を知っている。エリザベットの身振りや声の記憶は、この屋敷の壁や天井に宿っている。『海の沈黙』において、ひたすら一人で喋り続けるドイツ軍将校の話を、部屋の壁だけが記憶していたように。
また、鏡の国のガラス売りが、そもそもの存在意義を失っているように、この屋敷においてエリザベットは、徐々にその「意味」を失っていて、本人もそれに気づいている。ポールへの支配が及ばなくなったということを。ポールにかけた催眠術はエリザベット自身に返ってくる。映画が進むにつれ、二人の寄せ合った顔がどんどん似てきていたことを思い出す。彫像のような二人の顔のアップは、美しさに翻弄された顔として相似を得た結果なのだろう。勝ち気なエリザベットは美しさに屈してしまう。
『恐るべき子供たち』には、何者かに翻弄されるということの美しさと残酷さが、鉱石を磨くような手つきで紡がれている。雪玉に隠された鉱石は、私たちの胸で永遠に鈍い輝きを放ち続けている。
*1 「ゴダール全評論・全発言 Ⅰ 1950-1967」ジャン=リュック・ゴダール著 奥村昭夫訳(筑摩書房)
*2 「サムライ ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生」ルイ・ノゲイラ著 井上真希訳(晶文社)
映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『恐るべき子供たち』
2021年10月2日(土)より、[シアター・イメージフォーラム]他にて全国縦断公開
©1950 Carole Weisweiller (all rights reserved) Restauration in 4K in 2020 . ReallyLikeFilms