次々と崩壊する製作体制
ユル・ブリンナーは主演のクリス役を演じることに方向転換して、監督にマーティン・リットを指名。後に『ハッド 』(62)や『寒い国から帰ったスパイ』(65)を手がけることになる名匠だ。脚本には『西部に賭ける女』(62)のウォルター・バーンスタイン、音楽には『真昼の決闘』(52)のディミトリ・ティオムキンが招聘される。
だが、この製作体制も崩壊を迎えてしまう。マーティン・リットは方向性の違いからプロジェクトを離脱。代わって、『OK牧場の決斗』(57)や『ゴーストタウンの決斗』(58)で西部劇を手がけたジョン・スタージェスが監督に就任する。この人事は、プロデューサーに就任したウォルター・ミリッシュの助言によるものだった。ウォルター・バーンスタインが書いた脚本も、ウォルター・ニューマンによって大幅に書き直される事態に。そのニューマン版シナリオも、ウィリアム・ロバーツによってさらに修正が加えられ、映画のクレジットではウィリアム・ロバーツの単独名義となってしまった。
『荒野の七人』(c)Photofest / Getty Images
作曲を務めるはずだったディミトリ・ティオムキンは、監督のジョン・スタージェスと衝突。二人は『OK牧場の決斗』でタッグを組んだ間柄だったが、スタージェスはティオムキンの書き上げたテーマ曲がどうしても気に入らず、彼の解雇を決断。後任として呼ばれたのが、気鋭の作曲家として名を上げていたエルマー・バーンスタインだった。あまりにも有名な『荒野の七人』テーマ曲は、ティオムキンの更迭劇がなければ存在しなかったのである。
最大の問題は、キャスティング。映画俳優組合がストライキを予定していて、早いうちに配役を解決しないと、映画の製作が大きく遅延することが予想されていたのだ。製作陣は時間と戦いながら、荒野の七人…マグニフィセント・セブンを決めなくてはいけない事態に陥ったのである。