流れを変えた2人の俳優
『ドニー・ダーコ』は、リチャード・ケリーが卒業後に初めて書いた長編の脚本だ。これがハリウッドの大手エージェンシーであるクリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー(CAA)に認められ、ケリーは23歳で契約。順調な出だしだった。だが、ケリーの懸命な売り込みもむなしく、製作会社が決まらない。スタジオの幹部からは、「君は監督をするには若すぎる。脚本を売るべきだ」と説教された。1年が流れ、ハリウッドでは「あの脚本は死んだ」と噂された。
その間に何百部と印刷された脚本の一つが、『 天才マックスの世界』で主演したジェイソン・シュワルツマンの目に留まる。シュワルツマンがケリーに協力を申し出たことで、企画が息を吹き返し、まずパンドラ・シネマから250万ドルの出資を取り付けた。
『ドニー・ダーコ』(C)2001 PANDORA INC.ALL RIGHT RESERVED
さらにシュワルツマンを介して、ドリュー・バリモアが自ら設立した製作会社フラワー・フィルムズに脚本が渡る。同社から連絡をもらい、『 チャーリーズ・エンジェル』の撮影現場でバリモアに会ったケリーは、「英語教師の役を演じてほしい」と依頼。彼女は、フラワー・フィルムズも製作に加わることを条件に出演を快諾する。予算は450万ドルに増えた。「ドリューが契約したあとは、誰もが参加したがる企画になった」とケリーは振り返っている。
ドリュー・バリモアは単なる出演者にとどまらず、メンターとして、またゴッドマザーとして製作を指揮した。なお、映画の後半でドニーと仲間が自転車に乗りロバータ・スパロウ(通称“死神オババ”)の家に急ぐシーンは、バリモアが出演したSF映画『 E.T.』(1982年)へのオマージュだ。