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『ダムネーション/天罰』タル・ベーラが紡ぐ、鎖に繋げられたメランコリー

『ダムネーション/天罰』タル・ベーラが紡ぐ、鎖に繋げられたメランコリー

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『ダムネーション/天罰』あらすじ

石炭を運ぶ滑車が部屋の窓から見える。カーレルは行きつけの酒場へ向かう。酒場の店主はカーレルに仕事を持ちかける。この街を離れたくないカーレルは、知り合いに小包を運ばせようと思いつく。2人は杯を交わす。大雨の中、タイタニックバーに入る。タバコを片手に愛人の歌手がステージで歌う。店内の隅で彼女の夫に問い詰められる。カーレルは歌手とその夫に、酒場の店主の仕事を持ちかける。


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腐食のメランコリー



 『サタンタンゴ』(94)以前に撮られた傑作『ダムネーション/天罰』(88)は、タル・ベーラが確固たるスタイルを完成させたそのプロセスが読み取れるだけでなく、この映画作家の入門として、これ以上ない最適な作品といえる。


 乾ききった画面に降り注ぐ雨。濡れた路上。歌う女の憂い。大雨が「タイタニック」という名のバーを浸していく。沈みゆく船という名の小宇宙。タル・ベーラの作品としては例外的なほど、この作品にはメランコリーが立ち込めている。しかしそれはこの町を覆いつくす霧や、降りやまない雨のように、路上を、そしてそこで生きる人間を腐食させていくメランコリーでもある。この町に立ち込める霧を一度吸い込んでしまえば、それは肺にまで届き、深く魂に沈み込んでいく。それはタル・ベーラの映画における「重力」となる。


 七時間を超える長大で美しい『サタンタンゴ』に至っていく、過去と未来を繋ぐミッシングリンクの発見。タル・ベーラという稀代の映画作家を考える際、本作を起点にしていく必要性を感じている。


『ダムネーション/天罰』予告


 石炭を運ぶ荷台が吊るされたロープウェイ。モノクロームの画面に無機的に捉えられた運動。やがて緩やかにカメラが引いていくと、モノクローム以上にモノクロームに沈んでいる男性のフォルムが窓際に捉えられる。それは『サタンタンゴ』の医師が、窓の外に見える世界から「物語未満」の村人の生活を断片として描出していたことを想起させる。


 タル・ベーラの映画には室内撮影が多い。引退作となった『ニーチェの馬』(11)は、その極北に位置する作品だが、室内という小宇宙と外の世界の間に起こる摩擦、二つの時間間隔の差異を、タル・ベーラは注意深く観察している。この世界にはまるで二つの時計があるようだ。そして片方の時計は遥か昔から止まったままなのかもしれない。それはタル・ベーラの映画における重力となる。


 女性に復縁を求める主人公は、自分がいかに間違っていて変わろうとしているか、その決意を女性に主張する。しかし、この町の重力に浸食されている主人公は、結局何も変われない。女性からの同情による不感症なセックスを終え、主人公は自己中心的で愚かな話を再び始める。彼は自分中心の視点でしか世界を見れていない。欲しいものが手に入ってしまえば、彼は何も変わらない。男性の愚かな話を一時停止したかのように固まった表情で見つめる女性。それは、あたかも瞬間的に彫刻化されてしまった感情を「ショット」として表しているかのようだ。彼女もまた、この町の霧の重さを肺の奥にまで吸い込んでいる。




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