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「にんげんこわい」斬新な解釈で落語をアップデートした意欲作

「にんげんこわい」斬新な解釈で落語をアップデートした意欲作

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「にんげんこわい」あらすじ

盲目の按摩・梅喜(東出昌大)はある日、芸者の小春(松本妃代)からお百度参りをすれば満願叶うという話を聞き、茅場町の薬師様へ通うことにする。参拝100日目をついに迎え、帰宅した梅喜は目が開いたことに気付く。しかし、梅喜を支えてきた妻のお竹(黒木華)はどこか浮かない表情。数日後、梅喜は客の旦那からお竹は小春と比べて器量が悪いのだと聞かされる……。(第1話)


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なぜ落語は映像化が難しいのか?



 「落語とは何か」という問いには議論百出だろうが、私見を述べるなら「人情の機微を語る芸能」ではないだろうか。だがその「人情」にも色々あり、人の情けや思いやりだけではない。嫉妬やねたみ、憎しみなども、人の感情という意味から言えば「人情」の一つであり、こうした負の感情が渦巻く話が落語には多くある。


 WOWOWオリジナルドラマ「にんげんこわい」は、落語が持つそうした陰の部分にフォーカスした意欲作である。そしてそもそも落語を映像化しようという試み自体が意欲的だとも言える。


 落語を映像化した作品といえば、まず川島雄三監督の『幕末太陽傳』(57)が思い浮かぶ。古典落語「居残り佐平治」をベースとし、幕末の品川遊郭を舞台に様々な古典落語のストーリーを散りばめた同作は、傑作コメディとして日本映画史に屹立する存在だ。他には山田洋二監督の『運が良けりゃ』(66)などがあるが、落語をストレートに映像化した作品というと意外に多くはない。


 古典落語といえば、八つぁん、熊さん、横丁のご隠居など、陽気な登場人物が間抜けな話を繰り広げる滑稽話、笑いどころは少ないがストーリーで泣かせる人情噺など豊かなバリエーションがある。一見、映像化できるネタの宝庫と思えるが、そもそも落語には映像化に向かない大きな理由がある。それは落語が文字通り「語る」芸能だからだ。



WOWOWオリジナルドラマ「にんげんこわい」


 古典落語は、古くから知られたストーリーのため、お客は筋書きの奇抜さや意外性を楽しむわけではない。そのお話をどんな「演出」と「語り口」で聞かせてくれるかを楽しむのだ。噺家は舞台の上で、下町の職人から、商家の若旦那、殿様、町娘や花魁までを演じ分ける。噺家は「語り口」によって、様々な人物をまるで存在するかのようなリアルさで描写し、観客はその「語り」と芸人の味わいに酔いしれる。落語の魅力は噺家の「語り」と不可分なのだ。


 そのため、落語のキャラクターを役者が演じることはリスキーだ。「語り口」によって魅力を放っていたキャラクターを役者が演じ、それをカメラが客観的にとらえるという行為そのものが、落語本来の魅力を大きく損なってしまう。こうした事情が、古典落語の映像化を困難なものにしている大きな理由だろう。


 そうした厳しい前提もあった上で、「にんげんこわい」の出来はどうだろうか。結論から言えば、本作は先述したリスクを巧みに回避し、落語の魅力を別の面から発見することに成功したと言えるだろう。その功績は4人の脚本家が施した見事なアレンジにある。そのアレンジへの驚きは落語を知るものであれば、なおさら大きい。




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