ジュリエット・ベルトとビュル・オジエ
『デュエル』の撮影に先立って、キャスト陣はマーク・ロブソン監督による『第七の犠牲者』(43)を参考作品として見たという。一度見たら忘れられないくらいの存在感を放っている毛皮のコートを着たジャクリーン(ジーン・ブルックス)による、演劇的ともいえる夜道の歩き方は、どこか『デュエル』の俳優たちの歩き方と繋がっている。そして、本作のブルックスの容姿は月の女を演じたベルトによく似ている。更に、悪魔崇拝の儀式が描かれていることや、その裏に暗喩されていると言われる同性愛のテーマまでもが、まったく似ていないこの二つの作品を接続している。『第七の犠牲者』のノワールな演出を参照しながら、俳優への実験的なアプローチを試みることにより、リヴェットは「新しい儀式」を再発明している。
新たな儀式の創造は、リヴェット映画に深い理解のある二人の俳優をメンターとして完成する。ジュリエット・ベルトとビュル・オジエ。ジャン=リュック・ゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』(67)で映画俳優デビューしたベルトは、『中国女』(67)、『ウイークエンド』(67)、ジガ・ヴェルトフ集団の作品等、ゴダールの傑作群に連続出演していく。クロード・ミレールの撮った美しい短編『Juliet dans Paris』(67)では、彼女の名前がタイトルになっている。
『デュエル』© 1976 SUNSHINE / INA.Tous droits réservés.
メインストリームで華々しいキャリアを送ることも可能だったはずのベルトは、リヴェット作品をはじめ、先鋭的な映画作家の作品に次々と出演していく。アラン・タネール、グラウベル・ローシャ、ピエール・ズッカ、ロバート・クレイマー。そして映画作家として三本の長編劇映画を残している。ベルトによる監督第二作『Cap Canaille』(83)は、同時代のレオス・カラックスの『汚れた血』(86)の隣に並べるに相応しい傑作といえる。そして監督第三作目『Havre』(86)のトランスしていくダンスシーンは、ジュリエット・ベルトこそがジャック・リヴェットの正統な後継者だったことを証明している。しかし、ベルトは43歳の若さでこの世を去ってしまう。『中国女』で共演したアンヌ・ヴィアゼムスキーは、ベルトの他界に関して、「同じコインの裏表を失ったようなものだった」と述べている。*2
ビュル・オジェはマルク’Oの先鋭的な劇団で活動していた。リヴェットは観客の一人だった。マルク’Oの監督した『アイドルたち』(68)では、オジエの素晴らしい舞台パフォーマンスが炸裂している。リヴェットとは『狂気の愛』で、劇団仲間のジャン=ピエール・カルフォンやミシェル・モレッティたちをまるごと引き連れて映画を撮っている。オジェは劇団に所属している頃から、毎日のように映画館に通い、俳優の身振りを学んでいたという。
マノエル・ド・オリヴェイラ監督の『O meu caso』(86)では、サイレント映画の喜劇俳優のような目の動き、身振りを見事に体現している。オジェもまた、ベルトと同じく、先鋭的な映画作家と意志を共にする「世界を旅する俳優」であり、むしろその先駆者といえる。俳優人生で一番の仕事だったと公言している『狂気の愛』から始まり、多くのリヴェットの映画に出演しているが、『北の橋』(81)で娘のパスカル・オジェと共演したことは忘れがたい。パリの街をボードゲームのように見立てたこの傑作は、リヴェットによる「すべての映画は、俳優についてのドキュメンタリーである」という提唱が、美しい形で昇華されている。*1
ベルトの持つアンドロジナスと、妖精のように超自然的なオジェの佇まい。映画史の神話である二人が、リヴェットの挑発的な空間で、その身振りをを向かい合わせる。『デュエル』のインスピレーションは、男性と女性が逆転するイタリアの演劇の話を聞いたことだったというエピソードは示唆に富んでいる。