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『デュエル』ジャック・リヴェットによる俳優主義

© 1976 SUNSHINE / INA.Tous droits réservés.

『デュエル』ジャック・リヴェットによる俳優主義

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滅亡のリュミエール



「もうずっと若いままよ。うんざりなの」(月の女王レニ)


 撮影監督ウィリアム・リュプチャンスキーによる円形が意識されたカメラは、俳優の微細な動きを適確にフレームに捉えるどころか、鏡張りの部屋でカメラをフル回転させても問題ないと思えてしまうほどギリギリのフレーミングに徹している。完全な透明性を得たカメラ。『デュエル』には大きな鏡が過剰なくらい頻出する。特にガラスの埋め込まれた柱に支えられる「ルンバ」と名付けられたダンスクラブのマジカルなシーンと、大きな鏡が壁に並ぶダンススタジオのシーンでは、ウィリアムによる奇跡的な撮影が披露されている。また、たとえば駐車場のシーンなど、いつの間にかどこか別の場所へ移動したような奇妙な感覚を覚えるシーンがある。登場人物の全員が、「鏡の国」で迷子になってしまったかのような、捩れた空間が表出されている。本作に現実世界の住人がいるとするならば、それは劇伴を演奏するミュージシャンだけなのかもしれない。



『デュエル』© 1976 SUNSHINE / INA.Tous droits réservés.


 ダンススタジオで偉大な彫像のように立っていた月の女。月の女は伴奏者の音楽に合わせ、踊るように言葉を放つ。しかし別のシーンで、年齢を重ねることが許されないことを自嘲ぎみに語る彼女の姿はどこか悲し気だ。太陽の女と月の女は互いに決闘を申し込む。太陽の女の途切れそうな声が残る。「そなたを、、、待つ」。宝石という名の発光体が、本作の女神たちに儚さという余白を生み出している。強すぎる光で目が見えなくなってしまった瞬間に、すべての力は失われてしまう。そこには気まぐれな女神たちでさえ逆らえない「忘却」という悲劇がある。


 『デュエル』には、リヴェット自身がこの映画に驚きたいという願望があるのだろう。リヴェットは、この映画が行き着く終着点を驚きと共に待ち続ける。それはロマンチックだが、破滅願望にも近いことなのかもしれない。なぜなら強すぎる光が消去してしまうものとは、映画そのもののことに他ならないからだ。滅亡のリュミエール。血の色で彩色されたビッグバン。背景には街を走る電車の音が「演奏」されていた。無垢な毒の香りを放つ女神たちは、幻の世界でいまも生き続けている。


*1 「THE ACT AND THE ACTOR」by Jacques Rivette

*2 Liberation [Interview «Tu ne crois pas que quand tu joues, moins tu as, mieux c'est?»]



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。




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作品情報を見る



ジャック・リヴェット映画祭

4月8日(金)~4月28日(木)ヒューマントラストシネマ渋谷にて開催

配給:マーメイドフィルム/コピアポア・フィルム

公式サイト

© 1976 SUNSHINE / INA.Tous droits réservés.

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