(C) 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
『リコリス・ピザ』若すぎて何が悪い?ロマンチックで何が悪い?
大人になれば
「子供の頃、大人になるまで待てないと思ったことを覚えています」(ポール・トーマス・アンダーソン)*1
『リコリス・ピザ』は劇中に登場するピンボールマシンのように予測不能な展開を持っている。子役であり起業家でもある早熟なゲイリーは、誰よりも早く大人になりたい。アラナはゲイリーの気持ちを拒み続ける。しかしアラナはゲイリーの仕事に付き添っている内に、いつの間にか自分自身を発見していく。
ロサンゼルスのサンフェルナンド・バレーは、ポール・トーマス・アンダーソンの育った町であるのと同時に、アラナ・ハイムの育った町でもある。ポール・トーマス・アンダーソンが幼い頃に訪れた風景、本作の美術を手掛けたフロレンシア・マーティンは実際にそこへ訪ねることで、映画のルックを決めていったという。アラナ・ハイムの母親は、ポール・トーマス・アンダーソンの小学校の頃の美術の先生だったという。このエピソードを知ったアラナ・ハイムは、それぞれが別の場所で生活したにも関わらず、実はすべてが繋がっていたという意味で、ポール・トーマス・アンダーソンが手掛けた『マグノリア』(99)のように感じたという。
『リコリス・ピザ』(C) 2021 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ポール・トーマス・アンダーソン映画の常連だった故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子クーパー・ホフマンは、彼が生まれたときからの家族ぐるみの付き合いだ。クーパー・ホフマンは父親がアカデミー助演男優賞にノミネートされた『ザ・マスター』(12)つながりで、ホアキン・フェニックスと遊んだ日のことをよく覚えている。『リコリス・ピザ』にはモデルとなる人物(ゲイリー・ゴーツマン)がいるが、アラナ役がアラナ・ハイム自身と切り離せないことや、アラナ・ハイムのプライベートなエピソードが映画に盛り込まれていることも含め、監督、キャストの自伝的な要素が多分に含まれている作品といえる。
「自分のことを大人だとは思っていないけれど、大人だと思われていて、人生で何をやっているのか分からなかったという時期は私にもあります」(アラナ・ハイム)*2
ミュージシャンとして活躍するハイム三姉妹の末っ子アラナは、何もできていない自分と二人の姉の活躍を比べてしまっていた時期があったという。『リコリス・ピザ』でゲイリーとアラナは、お互いの人生に出たり入ったりを繰り返す。別の異性への目移りが、ゲームのように付かず離れずの嫉妬合戦を繰り返す。大人になりきれない大人。時に無神経で子供っぽくなることもあるゲイリーの振る舞いをアラナが一歩遠くから眺めるときや、ふとした沈黙には、大人になることへの逡巡がある。