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『ファイブ・イージー・ピーセス』若きジャック・ニコルソン自身を投影した虚無感

(c)Photofest / Getty Images

『ファイブ・イージー・ピーセス』若きジャック・ニコルソン自身を投影した虚無感

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ニコルソンの素顔を知る女性脚本家



 主人公のボビーは中年にさしかかっているが、身勝手な性格で、どこか大人になりきれない人物だ。描き方次第では、観客の反発を買う人物になったかもしれないが、ニコルソンの演技には愛敬とユーモアがあり、なんだか憎めない人物となっている。脚本はエイドリアン・ジョイス(キャロル・イーストマンの別名)。彼女は『イージー・ライダー』で有名になる前からニコルソンの友人で、60年代には彼が主演したモンテ・ヘルマン監督の西部劇『銃撃』(67、DVD公開)の脚本も手がけている。『ファイブ・イージー・ピーセス』はニコルソンを最初から想定して描かれた作品だったという。 彼女は20代だったニコルソンが感じの悪いウエイトレスに挑発的な冗談を言うところを実生活で目撃したことがあり、そこからヒントを得たエピソードも映画に盛り込んだ(ボビーが旅先の店でトーストをオーダーし、融通のきかないウエイトレスをやり込める痛烈な場面がある)。


 撮影中に特に問題になった場面もあったという。久しぶりに実家に戻ったボビーが、車椅子に乗って話のできない父親に自分の心情を告白する場面がある。自分が旅を続けるのは、何かを探すためではなく、自分がそこにいると物事が悪くなるので、そこから逃げ出すためだ、と彼は言う。それまでシニカルな言葉を吐くことが多かったボビーはそこで大粒の涙を流す。この場面をめぐってニコルソンと監督のラフェルソンの間で対立が起きたという。“The Films of Jack Nicholson”(ダグラス・ブロード著、Citadel Press)によれば、監督は父の前に跪いて泣く場面を望んだが、ニコルソンは「自己を憐れんで泣くような描写は人物像に合わない」と考えたという。一方、監督は観客の共感しやすい要素も入れたいという理由で、涙の告白をニコルソンに望んだ。夜を徹して話し合った結果、彼の方が監督の要求を飲んだが、演じた後もニコルソンは涙など流さず、もっとストイックな感じで描いた方が良かった、と考えていたようだ。



『ファイブ・イージー・ピーセス』(c)Photofest / Getty Images


 この問題の箇所、公開時は名場面と言われ、映画『マイ・バック・ページ』の中でもヒロインによって男の涙が肯定される場面がある。筆者もかつてはこの場面に心を動かされたが、現代の視点で見直してみると涙は必要なかった気もした。全体のトーンは乾いているが、ここだけが妙にセンチメンタルな印象を残す場面になっているからだ(だからこそ、意外性があって、逆に心に響く場面、という考え方もできるのだろうが)。


 また、この場面同様、映画の終わり方も問題になったようだ。“Jack Nicholson”(デレク・シルヴェスター著、Proteus Books)によると、最初のシナリオでは最後に車が崖のところで事故を起こし、ボビーは亡くなり、恋人のレイだけが生き残る、という設定だったという。レイ役のブラックはこれでいいと考えていたそうだが、ニコルソンは寂しい街の通りをボビーが歩いていく場面で終わった方がいいと主張した。結局、話し合いの結果、映画で描かれた結末になったそうだが、あのエンディングだからこそ、実は良い作品になったと思う。


 場面によっては自分の意図したものとは別のニュアンスになったところもあるようだが、それでもニコルソンは“Chicago Tribune”の評論家ジーン・シスケルとのインタビューで「僕自身をよく知っている女性の脚本家がシナリオを書いている。だから、当時の自分とすごく接点のある人物像になっている」と語り、ボビーが自身に近い人物像だったことを認めている。


 本当は才能がありながらも、それを発揮できる道をあえて選ばず、アウトサイダーとしての道を選んだ反逆児。複数の女たちが心ひかれる魅力を持ちながら、本気でひとりだけを見つめることができない男。言葉を話せない父としか、本音を話せない息子。安定した中産階級の家庭にも、ワーキング・クラスの世界にも居場所のない人物。孤独と虚無感を抱えながら旅をする主人公の複雑な心理が描かれるが、男性の脚本家が共感をこめて主人公を描くのではなく、女性脚本家が少し冷めた視点で彼を見つめることで辛口の乾いた作品になっている。


 男女描写に関して特に強烈な印象な印象を残すのは、ボビーの兄の婚約者のキャサリン(スーザン・アンスパック)がボビーに言い放つセリフだろう。ボビーの弾くピアノに感動し、彼に心ひかれながらも、自分に愛を求める彼を最後は拒否する――「自分自身に愛もリスペクトもなく、仕事や家族も愛せない人に愛を求める資格はないわ」。女性脚本家の厳しさが感じられる名セリフだった。




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