あの鬼才が、監督を務めるはずだった!?
そもそもブレイドの映画化は原作コミックが誕生した1970年代から考えられていたが、実現には至らず。1990年代の前半にはラッパー、LLクール・Jの主演で映画化が試みられたが、こちらも頓挫する。企画が本格的に動き出したのは、ニュー・ライン・シネマが製作の権利を手に入れてからだが、ブレイドを原作と異なる白人に設定しようとするなど初期は迷走が続いた。それでも脚本家としてデヴィッド・S・ゴイヤーが起用されたことにより、方向性は少しずつ定まってくる。
ゴイヤーは、『セブン』(95)を撮り終えたばかりのデヴィッド・フィンチャーとともに脚本の草稿に取りかかる。彼らが目指したのは、従来の吸血鬼映画のような神秘性を徹底的に排除して、現代的な物語にすること。十字架に弱いという宗教的な側面もここでは不要。陽の光が弱点で、吸血により糧を得るという習性の部分を残し、その存在を現代の大都会の闇の中に落とし込むことで、新たなバンパイア映画を作ろうと試みた。
『ブレイド』(c)Photofest / Getty Images
ゴイヤーによると、フィンチャーはブレイドのキャラクターにブッダのような悟りの物語を加えようとしていたとのこと。縁者との死別を次々と経験し、それを乗り越えて、魂の自由に達する、そんなドラマだ。結局のところ、フィンチャーの意向は100%反映されたわけではないが、冒頭のブレイドと、結末のブレイドを比べたときの変化は、それを想起させるものとなった。ちなみにフィンチャーは当初、本作を監督することにも意欲を示していたというが、他のプロジェクトとの兼ね合いで、それはかなわなかった。
代わって監督の座に就いたのは、特殊効果の分野でキャリアを積み重ね、『デスマシーン』(94)で監督デビューした英国の俊英スティーブン・ノリントン。脚本を読んで新たなバンパイア映画の可能性を感じとった彼は、渡米してこの企画に熱心に取り組むことになる。とりわけ、彼が心を動かされたのは、ブレイドとウィスラーの関係性。若いガンマンが老ガンマンからバトンを受け継ぐような、そんな構図に『ウエスタン』(68)のような名作西部劇の香りを覚えたと、ノリントンは語る。