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『ホワイト・ノイズ』ノア・バームバック流パンデミック映画にみる“死”への向き合い

WILSON WEBB/NETFLIX © 2022

『ホワイト・ノイズ』ノア・バームバック流パンデミック映画にみる“死”への向き合い

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パンデミック中の“混乱の記憶”を呼び起こす第2章



 “静”の演出が光る1部を経た第2部は、バームバック監督流のパニック映画といっていい出来栄え。夕食中に避難勧告が出され、最初は真面目に取り合わない家族が近隣の住民が逃げ出したことで「自分たちも対象か!」とようやく身に染みて逃げ出す展開や、正誤の判断がつかないまま情報が飛び交い、持論を展開してカリスマと崇められる者、オカルトに傾倒する者等々、我々がコロナ禍で実際に経験した「人間が変わる」姿が打って変わってテンポよく描かれていく。


 最も大きいのはジャック(アダム・ドライバー)とバベット(グレタ・ガーウィグ)という夫婦の関係が変容してしまう部分で、前述したタナトフォビアのような精神衰弱が両者の間に溝や秘密を作っていく。時を同じくしてジャックは死を司るような謎の男の幻影を見るようにもなり、これらは第3章の布石としても機能し始める。



『ホワイト・ノイズ』WILSON WEBB/NETFLIX © 2022


 バームバック監督は「映画やテレビ、ラジオから私たちがどれほど影響を受けているかについても書かれています」と本作のもう一つの特徴を挙げているが、これは前述した「娯楽として死を楽しむ」部分だけでなく、「情報に左右される」という意味でもそう。本作の舞台となった80年代は、現在のようにインターネットやSNSが普及しているわけではなく、より「わからない」恐怖が強まっている。そしてまた、観客である我々自身が己の経験と比較して「フェイクニュースや怪情報に踊らされる機会が少ないぶん平和かもしれない」と思ってしまう点も、いまのこの時代に制作された映画こそであろう。


 観賞者から「『NOPE/ノープ』的」と呼ばれている毒性の雲の禍々しいルック、頭上に死の恐怖が可視化されている演出、パニックに陥った人々が逃げまどい車がクラッシュしたり人々が跳ねられたりするようなダイナミックな描写も盛り込まれ、それこそ死を娯楽として観る映画的な面白さは第2章でしっかりと担保されているのだが、同時に本作は「自分自身を見る」鏡的な役割も併せ持っている。映画を観ながらにして、コロナ禍に直面した際の“あの日の自分”を思い返すような気味の悪さ――『ホワイト・ノイズ』はバームバック監督らしいユーモラスなセリフ回しもふんだんに盛り込まれているが、その実我々観客が彼らを笑い飛ばすことはできない。最初から最後まで、当事者意識を外してくれないのだ。





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