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『ホワイト・ノイズ』ノア・バームバック流パンデミック映画にみる“死”への向き合い

WILSON WEBB/NETFLIX © 2022

『ホワイト・ノイズ』ノア・バームバック流パンデミック映画にみる“死”への向き合い

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パンデミック後の“消えない恐怖”を突き付ける第3章



 そして、本作の白眉といえるのは第3章。第2章で「ひょっとしてコロナ禍のように何年もこの状態が続いていくのか?」と思わせながら、あっけなく避難生活は終わり、人々はこれまで通りの生活に戻っていく。


 しかし、だ。仮に頭上の雲がなくなったとしても、心の内に芽生えてしまった恐怖の記憶は雲散霧消しない。「いつかまたこうなるかも」という不安がへばりつき、ジャックとバベットの生活をむしばんでいく。幻影に苛まれる夫と、不可解な行動が加速する妻……。死の恐怖に取りつかれてしまった二人は、死という不可避な事象にどのように“対処”していくのか? 


 この部分は観てのお楽しみということで省くが、こうしたある種“仮想コロナ”を描いた映画が我々が直面している“いま”の先――つまり危機は完全に去ったと言われた状態でどうなるかを示している点は、ある種絶望的でもある。危機はいつか去るという希望を描きつつ、新しい日常(ニューノーマル)こそあれ、旧来の日常(ノーマル)は真の意味でかえってこないという絶望をも突きつけるからだ。



『ホワイト・ノイズ』WILSON WEBB/NETFLIX © 2022


 トラウマやPTSDもその一種だろうが、この先も『ホワイト・ノイズ』の劇中の“被災者”たちは雨雲や雨におびえるだろうし、我々自身もまたマスクやワクチン接種等々、自身の主義や信条を構築している最中ではないだろうか。つまり、ある日を境に完全に解放されることは恐らくなく、各々がどこかで区切りや折り合いをつけていくしかないのだということ。そして、死はずっと身近にあったのだということ。私たちが健康に気を遣ってスーパーで買うもの=食べるものを選択することだって根本的には死の恐怖から逃れるためだし、そこに気づけたということをどう生かしていくかだ、というようなメッセージをも本作からは感じられる。コロナ禍のシミュレーション要素も担うこの物語が内包しているのは、決して絶望だけではないのだ。


 劇中に登場するシスター兼医師はこう語る。「誰も信じないことを信じるのが仕事」「信じないと世界が崩壊する」と。死を娯楽とし、死を直視した我々は「破滅を意識しながらも希望をでっちあげる」彼らの姿をどう受け止めるか――忌避か、受容か。本作を教典とするかノイズと唾棄するかは、各々の手にゆだねられているのかもしれない。そしてそれは、個々人の生きざまでもある。



文:SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」 「シネマカフェ」 「装苑」「FRIDAYデジタル」「CREA」「BRUTUS」等に寄稿。Twitter「syocinema



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Netflix映画『ホワイト・ノイズ』

12月30日(金)より独占配信中

WILSON WEBB/NETFLIX © 2022

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