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『書かれた顔』すべては舞台=人生の美のために

(C)1995 T&C FILM AG / EURO SPACE

『書かれた顔』すべては舞台=人生の美のために

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乱れる



 『書かれた顔』で坂東玉三郎が手鏡を片手に化粧をするシーンには、一度見たら忘れられないくらいの耽美性がある。すべての美の出発点であるかのように綺麗に整えられた化粧台。ダニエル・シュミットという映画作家への信頼が、この美しい撮影を実現させている。坂東玉三郎は女形について、日本画に描かれた女性の「線」を若い頃から研究していたという。


「その絵の美を支えている表情や線や雰囲気などを理解しようとしました。具体的には、裾の分量、帯の締め方、頭の結い方、姿勢の取り方などです」


「その女性がもっている美しい線や仕草、つまり、美人といわれるのは、顔のつくりが整っていること以上に、容姿全体の線やそこから醸し出されるものがあってそう呼ばれるのだということです」(坂東玉三郎)*1


本作の坂東玉三郎を見ていると、虚構のイメージとしての女性というよりも、詩のイメージの中で生きる女性のことを思う。坂東玉三郎という女形が美しいということ以上に、坂東玉三郎が女形というイメージを描く際の、見えない「線」の美しさを思うのだ。踊り方、歩き方、声のトーン、話すときの些細な手の仕草、気品、そして誇り。その人はどんな衣装や小道具を纏っているか。言い換えれば、その人はどんな衣装や小道具を選んだのか。インタビューに答える杉村春子は扇子を一枚ずつ折り畳んでいく。そこにはどのように人生を生きてきたか?という彼女の選択がある。そして登場人物全員の所作の美しさこそが本作の最大の魅力だ。



『書かれた顔』(C)1995 T&C FILM AG / EURO SPACE


 その意味で本作に、杉村春子が主演を務めた成瀬巳喜男による傑作『晩菊』(54)の映像が引用されていることは示唆に富んでいる。氷の女ともいえる元芸者の倉橋きん(杉村春子)が、人生で一番好きだった人(上原謙)との再会の際、改めて身支度をするシーンだ。芸者時代に戻ったかのような彼女は、少女のように胸を焦がしながら鏡の前で顔や髪を整え始める(そして身支度を最愛の人に覗き見されてしまう!)。


 『晩菊』における引退した芸者の女性たちは、おでこの髪の生え際、髪の結い方によって、それぞれの年齢や生活が表わされている。そして『晩菊』は、彼女のたちの髪の乱れ、感情的な崩れの中にこそ、人の営みの美しさを見出している。このことはダニエル・シュミットが引退したオペラ歌手たちを追ったドキュメンタリー映画『トスカの接吻』(84)とも共振している。引退した芸者、オペラ歌手。ダニエル・シュミットが『晩菊』を愛していたのは、ほとんど必然的な運命だったとしか思えない。




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