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『ダークグラス』アルジェント的コードが横溢する、ジャッロへの原点回帰

Copyright 2021 © URANIA PICTURES S.R.L. e GETAWAY FILMS S.A.S.

『ダークグラス』アルジェント的コードが横溢する、ジャッロへの原点回帰

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盲目の主人公



 筆者が非常に興味深く感じたのは、盲目の主人公という設定がサスペンスの駆動にほとんど貢献していないこと。ダリオ・アルジェント作品では、『わたしは目撃者』(71)の元新聞記者フランコや、『サスペリア』の鍵盤弾きダニエルなど、盲目のキャラクターが登場することが多い。オードリー・ヘプバーン主演の『暗くなるまで待って』(67)の例をもち出すまでもなく、目が見えないという設定は直接的なサスペンスを生み出す(それを逆手にとったのが、加害者側が盲目という設定の『ドント・ブリーズ』(16)だった)。


 だが『ダークグラス』では、ディアナが盲目であるがゆえに殺人鬼のいる場所を特定できないとか、行動を予見できないとか、効果的にサスペンスが作動する場面が登場しない。『わたしは目撃者』のフランコは、盲目かつ名探偵キャラだったが、ディアナはとにかく逃げ回ることに必死で、推理を披露する余裕も能力もない(匂いで犯人を特定する場面はあったけど)。



『ダークグラス』Copyright 2021 © URANIA PICTURES S.R.L. e GETAWAY FILMS S.A.S.


 エスコート嬢だった彼女は、失明することでさらに社会の周縁へと追いやられる。そして、身寄りのない中国人の少年チン(シンユー・チャン)と奇妙な共同生活を送ることで、疑似家族のような関係を築いていく。二人は、手を取り合うことでしか生きられない。そう考えると「盲目の主人公」という設定は、見えない恐怖と戦うというお約束のサスペンスではなく、孤独な魂を抱えた二人が寄り添うためのフックのように思える。マイノリティの二人がお互いを理解し、お互いを癒すための。そう考えると『ダークグラス』は、アルジェント作品史上最もハートウォーミングな作品ともいえる。


 筆者は、視力を失ったディアナに常連客がつぶやく「これで醜い自分を見られることもない」というセリフが妙に印象に残っている。おそらく彼自身も、社会の中で孤独に生きてきたのだろう。『ダークグラス』鑑賞後にしみじみ思い返すのは、凄惨な殺人シーンではなく、心のひだに入り込むようなエモーショナルな場面なのだ。




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