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『生きる Living』17年ぶりに脚本を手掛けたカズオ・イシグロの思いとは

(C)Number 9 Films Living Limited

『生きる Living』17年ぶりに脚本を手掛けたカズオ・イシグロの思いとは

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『生きる Living』あらすじ

1953年。第二次世界大戦後、いまだ復興途上のロンドン。公務員のウィリアムズは、今日も同じ列車の同じ車両で通勤する。ピン・ストライプの背広に身を包み、山高帽を目深に被ったいわゆる“お堅い”英国紳士だ。役所の市民課に勤める彼は、部下に煙たがられながら事務処理に追われる毎日。家では孤独を感じ、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る…。彼は歯車でしかなかった日々に別れを告げ、自分の人生を見つめ直し始める。手遅れになる前に充実した人生を手に入れようと。仕事を放棄し、海辺のリゾートで酒を飲みバカ騒ぎをしてみるが、なんだかしっくりこない。病魔は彼の身体を蝕んでいく…。ロンドンに戻った彼は、かつて彼の下で働いていたマーガレットに再会する。今の彼女は社会で自分の力を試そうとバイタリティに溢れていた。そんな彼女に惹かれ、ささやかな時間を過ごすうちに、彼はまるで啓示を受けたかのように新しい一歩を踏み出すことを決意。その一歩は、やがて無関心だったまわりの人々をも変えることになる――。


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カズオ・イシグロが17年ぶりに手がけた脚本



 英国映画『生きる Living』(22)は黒澤明監督の1952年の傑作『生きる』を新たな視点で読み直した作品だ。英米では高い評価を受け、脚色を担当したカズオ・イシグロと主演のビル・ナイはそろってアカデミー賞候補となった。


 イシグロは作家としてはノーベル賞を受賞し、小説の映画化には『日の名残り』(93)、『わたしを離さないで』(10)などがあり、どちらも成功作となったが、脚色は彼の担当ではなかった。書き下ろしの脚本家としてはカナダのカルト監督、ガイ・マディンの異色作“The Saddest Music in the World”(03、日本では映画祭上映のみ)や『日の名残り』のジェームズ・アイヴォリー監督の『上海の伯爵夫人』(05)も手がけたが、前者は監督が(イシグロの許可を得て)脚本とはまったく異なる内容に変え、後者は批評家には酷評された。実はイシグロの脚本家としての立ち位置は微妙で、『上海の伯爵夫人』以後、17年間、脚本を手がけることはなかった。しかし、初めて脚色に手をそめたこの新作でオスカー候補となり、脚本家としても認められた(オスカーだけではなく、英国アカデミー賞の脚色賞にもノミネート)。



『生きる LIVING』(C)Number 9 Films Living Limited


 基になった黒澤明の映画には原案があり、ロシアの文豪トルストイが19世紀に書いた小説「イワン・イリッチの死」を日本の社会に置きかえたものだ。脚色は黒澤明、橋本忍、小國英雄。死期が迫った役人という設定と役人制度に対する風刺的な視点は黒澤映画でも生かされているものの、全体の物語はまったく違い、オリジナルな内容に変えられている。


 黒澤版では役人に対する風刺的な描写が多く、後半、それが特に色濃く出ている。冒頭からして風刺的で、主人公のレントゲン写真が映し出され、「これは物語の主人公の胃袋である。胃がんの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない」というナレーションから始まる。余命いくばくもない人物の最後の奮闘を描いた物語そのものは感動的だが、この冒頭の語り口でも分かるように、主人公をどこか引いた視点で見ていて、それが後半の役人批判の描写へとつながる。お涙頂戴的な作風ではなく、主人公の周囲の描写に関しては、時おりブラック・コメディに思えるところさえある。


 しかし、イシグロ版はこうした風刺的な部分や黒澤らしい泥くさい要素は切り捨て、シンプルで、ストレートな構成にすることで、分かりやすくて品のいい作品になっている。





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