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『生きる Living』17年ぶりに脚本を手掛けたカズオ・イシグロの思いとは

(C)Number 9 Films Living Limited

『生きる Living』17年ぶりに脚本を手掛けたカズオ・イシグロの思いとは

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イシグロの音楽へのこだわり



 カズオ・イシグロは音楽好きの作家である。若い頃はミュージシャンになることが夢だったという。実は今も作詞家として活動していて、アメリカ出身のジャズ・シンガー、ステイシー・ケントのために「市街電車で朝食を」、「トラベリング・アゲイン」等、数々のオリジナル曲の作詞を担当している。作曲はケントの夫で、サックス・プレイヤーの英国人、ジム・トムリンソン。イシグロ、ケント、トムリンソンは創作的なトリオとして音楽界で地道な活動を続け、詩心あふれる曲を作り続けている(ケントは歌詞を丁寧に歌うシンガーなので、作詞家としてはうれしいのではないだろうか)。


 また、イシグロは音楽をテーマにした「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる5つの物語」(早川書房)という短編集も手がけているし、BBCラジオの長寿音楽番組“Desert Island Discs”にも出演して、無人島で聞きたい音楽の話をしていた(そこではボブ・ディランを最も影響を受けたミュージシャンとしてあげていた)。


 そんな音楽好きの彼が「生きる Living」でこだわったのは、劇中でビル・ナイが歌うスコットランド民謡「ナナカマドの木」である。イシグロにとっては思い入れの深い一曲だ。“Sunday Post”(2022年11月14日号)の記事によると、イシグロはスコットランド系の女性、ローナ・マクドゥーガルと80年代に結婚するが、ソーシャル・ワーカーだった彼女は歌がうまく、ふたりが恋に落ちた頃、ギターを弾きながらいろいろな曲を歌ってくれたという。


 「『ナナカマドの木』は彼女が歌ってくれた一曲で、僕たちにとってはすごく大事な意味があった」イシグロはそう回想する。ビル・ナイが『人生はシネマティック!』(16)の中でスコットランド民謡を歌う場面が気に入り、『生きる Living』でもスコットランド民謡を彼に歌ってもらうことになった。一般的な知名度は低かったが、自分たちにとっては思い出深い曲「ナナカマドの木」を劇中であえて使うことで、音楽へのこだわりを貫いた。



『生きる LIVING』(C)Number 9 Films Living Limited


 思えば『生きる』のオリジナル版を作った黒澤明も音楽好きとして知られていて、黒澤研究家として知られる都築政昭著の「人間 黒澤明の真実 その創造の秘密」(山川出版社)にはこんな一説が出てくる。「黒澤明にとって音楽は極めて重要なファクターなのである。シナリオの段階からイメージの中で音楽が鳴り響く。そして、音楽を聴きながら書き進める。そんな習性が黒澤にはある」


 『生きる』で黒澤監督がモチーフにしたのは『ゴンドラの唄』だった。<いのち短し、恋せよ乙女>の歌詞で知られているが、大正時代に女優の松井須磨子が芸術座の公演「その前夜」で歌ったのが、曲のはじまりとされている。しかし、イシグロ自身はこの曲があまり気にいっていないようだ。前述のインタビューによると「人生は短いという内容と直結した歌詞が出てくるが、そういう歌詞の曲は使いたくなかった」と語っている。


 その結果、知名度が低い「ナナカマドの木」があえて使われ、ビル・ナイが胸にしみる歌を披露。この曲は前述のようにイシグロの妻のルーツ、スコットランドへの思いが込められている。こうした挿話を知ると、『生きる Living』の初老の主人公、ウィリアムズには、現在、60代後半のイシグロ自身の人生や音楽への思いも重なって見える。



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書に「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



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配給:東宝

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